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人文=人間にとって責任とはなにか
異端のカウンセラーが自らの理論をまとめた集大成的著作、信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(角川新書、3月発売)は、タイトルが示唆するように、人の内面に着目するという心理職のイメージを覆して、むしろ「関係」へのアプローチの重要性を説いています。
そもそも心理的な問題は、家族などとの「関係」を原因として起きています。依存症などの問題行動を加害─被害の抑圧構造に対する「レジスタンス」と捉え、抑圧構造の解消のために限定的に「加害」「被害」の枠組みを活用する。これが著者の理論でした。
「関係」が問題である以上心理職として、政治学や社会学、女性学と言った「関係」の力学をめぐるさまざまな見地を総動員してきた著者の実践は、この社会に幾重にも張り巡らされた責任回避の体制に対するアンチテーゼとなっています。
責任とは負わされるもの、押し付けられるもの、といったイメージを「堕落した責任」と批判し、責任とは本来どういうものなのかを問い直すのが國分功一郎、熊谷晋一郎『〈責任〉の生成 中動態と当事者研究』(新曜社、2020年11月発売)です。
國分が「責任(responsibility)」が「応答する(response)」に由来することに着目し、本来の責任は困難を前にして自ら引き受けるものではないかという議論を展開します。すると熊谷はある精神障害者の例として、反省を求められ続けながらできなかった人が、「免責」された上で自ら「引責」に至るという事例を紹介します。
責任を自ら引き受けることとはどういうことなのかを考えれば考えるほど、能動─受動モデルだけでは捉えきれない中動態的な責任のあり方が見えてくるという不思議さを、2人の対談を読みながら味わいました。
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