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軽部謙介著『アフター・アベノミクス 異形の経済政策はいかに変質したのか』(岩波新書、12月発売、12月30日読了)は、アベノミクスの政策決定過程を追ったルポシリーズの完結篇です。第1作『官僚たちのアベノミクス 異形の経済政策はいかに作られたか』でアベノミクス政策誕生の過程を描き、第2作『ドキュメント 強権の経済政策 官僚たちのアベノミクス2』で分配政策へのシフトを捉えていましたが、本作の主題は金融政策から財政政策への転換の舞台裏です。
党内異端派だったはずの西田昌司らが党内議論の中心へ移り、国債発行による財政出動の強調論が増大しています。かつては官邸内のやりとりに割かれた紙幅は、本書では主に自民党内の議論がメインになっています。やはり首相が変わっても、舞台回しは安倍晋三だったということでしょう。
一方、本書でもうひとつ強調されるのは財務省と日銀の発言力低下です。日銀の低金利政策が、財務省の予算編成を助けるというぬるま湯の利害一致は、度重なる不祥事も加わって、財政出動論に対する財務省の抵抗力を削いでいます。
膨大になった日銀のバランスシートをいかに縮小させていくかという難問に、利上げが迫られつつある状況が到来している中で、アベノミクスはいよいよ本格的に総括される時期に来ています。
秦正樹著『陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム』(中公新書、10月発売、12月11日読了)は、「重要な出来事の裏では、一般人には見えない力がうごめいている」と考える思考様式を「陰謀論」と定義し、こうした陰謀論を誰が受容するのか、実証分析した労作です。
ツイッターの利用頻度が高いと陰謀論を信じやすいということはない、政治的関心の高い層ほど陰謀論を信じやすい、など興味深い分析結果を多数読んでいるだけでも収穫が多く、「自分の中の正しさを過剰に求めすぎない」という結論も納得です。まあこれができれば話は早いのですが。
川名壮志著『記者がひもとく「少年」事件史 少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す』(岩波新書、9月発売、12月4日読了)は、少年犯罪をマスコミがどのように報じてきたかをめぐる戦後史を、事件記者の視点でまとめています。
少年法の少年犯罪を「親子」「教育」問題と絡めて語る型が確立する1970年代。そうした「親子」「教育」という型にはまらないために、適切な視座をなかなか持てないまま報道が手を余した1980年代後半。家庭裁判所による審判が、刑事司法並みの制度を持ち合わせないアンフェアな制度であることが露呈したバブル前後。そうした少年法制のシステムの欠陥・不備に対する不信感が醸成される中で、相次ぐ重大事件を経て、それまでの「加害者の親の代わりに少年を保護する」という国親思想から、被害者視点に立った厳罰主義へと転換されていく平成初期。そして精神鑑定や発達障害への着目により、環境ではなく少年個人に原因を見出そうとする傾向が高まる21世紀を迎えます。
2010年代、著者によれば少年事件の報道は、量も減り、視点も遺族の声一辺倒になって、加害少年の生い立ちを掘り下げたり、少年を取り巻く環境を伝えたりする内容が消えているといいます。少年事件の報じ方は「大人」を映す鏡であると訴える著者は、現在の少年事件報道の退潮は、少年であっても大人同様に個人に責任を帰せられ、もはや見放されていることを示唆していると主張しますが、うなずけるものがあると思います。
こうした切れ味の良い整理は、ジャーナリストの手による新書ならではのものでしょう。