堺の給食の「温かいフルーツポンチ」

堺の給食の「温かいフルーツポンチ」

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 大阪府堺市で小学校に通った30歳くらいまでの若い世代であれば「温かいフルーツポンチ」を覚えているのではないでしょうか。堺市の小学校では給食にフルーツポンチが出ることがありますが、これがいつもいつも温かいのです。ぬるいというレベルのものではありません。ツイッターのフォロワーさんが言及されていて私も思い出しました。

O157食中毒の教訓

 堺市には苦い経験があります。1996年7月に学校給食で、腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒が発生しました。児童ら9500人以上が感染し、4人の児童(2015年に後遺症で亡くなった1人を含む)が死亡する「国際的にも例のない集団下痢症の事例」(文献1、あいさつ)になりました。患者の発症日自体は地域によってばらつきがあるものの、96年7月12日(金)に多数の患者が医療機関を受診したことがきっかけで発覚した経緯があり、市は毎年7月12日を「O157堺市学童集団下痢症を忘れない日」として毎年追悼と誓いのつどいが開かれています。

 市の学童集団下痢症対策本部は原因食材を特定できませんでしたが、O157は加熱調理で死滅することから、堺市学校給食検討委員会『当面の安全対策について』(96年9月19日付。文献1、第二部p.41に掲載)で「すべての食材を加熱調理する献立とすること」とするルールになりました。

 給食再開当初はジャムも湯せんで再加熱するほどの徹底ぶりでした(文献2)。98年度からは「再加熱しないジャムなどやふりかけ、デザート類の提供」(文献3、p.3)も始まりましたが、フルーツポンチは他のおかずと同様に各校の調理場で作られるメニューなので、現在もきっちりと温められて出てきます。

「職員も苦笑い」

 こうした経緯があっておなじみになった「温かいフルーツポンチ」ですが、給食でしかお目にかからないものなので堺市民の間では語りぐさになっています。実際そこまでしてフルーツポンチを食べないといけないのかと思わないでもない……。

 実は堺市議会でも話題に上っています。2018年12月7日の定例会第4回で、西哲史議員が次のように述べています。

私これ初めて聞いたとき、非常に驚いたわけでありますけれども、本市の給食では、温かいフルーツポンチが出ているそうであります。これを初めて聞いた人たちは、ほとんど苦笑をされます。え、そんなことあるんですか。本市の職員さんたちにも聞いても、いや、実はそうなんですよっていう苦笑いをされながら、お話をされる女性職員さんもたくさんいてます

 その上で次のような質疑応答が展開されています。

◆24番(西哲史君) (略)O157が残念ながら発生をさせてしまったまちだからこそ、いろんな物を加熱をしなきゃいけない、これはよくわかるんですが、じゃあ、逆に言えば、なぜフルーツポンチじゃなきゃいけないのかなと、余り工夫とか考えられてないように思わざるを得ないというのは、これ保護者の皆さん、たくさんおっしゃっています。温めなきゃいけないのはわかった。だけど、なぜフルーツポンチじゃなきゃいけないのかということが、多くの保護者の皆さんにとって疑問になっています。これはしっかりとフルーツポンチじゃなきゃいけない、栄養もじゃなくて、かわりで賄えるもの多々あると思いますので、これはしっかりと考えていただきたい、これ工夫、アイデアをしっかり考えながらじゃなくて、しっかり考えていくということが必要だと思いますが、いかがでしょうか。

◎教育次長(田所和之君) 本市では安全な学校給食が実施できるよう努めておりまして、食中毒の防止を第一に考え、全ての食材を加熱調理する献立といたしております。そのため、果物類についてもフルーツポンチなど調理を要する献立においては、加熱調理を行い、温かい状態で提供しておりますが、子どもたちの嗜好に合うよう、寒天を加えて食感の変化を持たせたり、実施する時期を考慮するなどの工夫を行っているところでございます。また、学校給食では、多様な食品を適切に組み合わせ、栄養素をバランスよく摂取するとともに、さまざまな食に触れることが重要であることから、果物類を使用する献立は重要であると考えております。今後も安全・安心な学校給食の実施を第一に、児童の栄養摂取や嗜好面に注意しながら、引き続き、旬のフルーツを使用したカップケーキ等、新たな献立の開発にも努めてまいりたいと考えております。以上でございます。

食中毒前のメニュー

 ところで食中毒発生前にはどんなメニューが出ていたのでしょうか。

 市がまとめた報告書(文献1)には、食中毒が発生した当時、96年6・7月分の給食献立表が載っています。当時の堺市の学校給食は市内三つのブロックごとに献立が組まれていました。このうち出席児童の5%以上が患者になる「多発校」がゼロだった、堺・西ブロック(現在の堺区、西区管内)の献立表を見てみることにします。

 6月26日(水)の献立は次のとおりでした(文献1、第三部資料1-2)。

  • コッペパン
  • ミルク
  • 肉みそうどん
  • 梅肉あえ
  • 冷みかん

 とあります。そうなんです、このときは冷たいミカンが出ているのです。6月3日(月)はミニトマト2個、6日(木)にはメロン1/8個が出ており、当時は生野菜・果物もメニューにあったようです。

 また多数の患者が診察を受けた7月12日(金)は3ブロックで「フルーツミックス(冷牛乳寒天)」が出ています。このメニューが食中毒の原因だったとは考えられていませんが、食中毒当日のメニューだったこともあり、調理方法についても詳細に記述されています(文献1、第三部資料1-6)。それによると

  1. 冷牛乳寒天・黄桃ダイス缶・パインピーセス缶・みかん缶をまぜ合わせる。
  2. 1人80gずつつける。

 と書かれています。至って普通の調理ですが、現在の堺市内の給食ではまぜ合わせた後に加熱の工程が入るはずです。

 今では堺の学校給食におけるO-157食中毒の教訓の象徴として見られている「温かいフルーツポンチ」。その食中毒発生前、最後の給食に出ていたのがフルーツミックスだったというのは偶然とはいえ因縁めいたものを感じずにはいられません。

 堺市教育委員会事務局には20年以上たった今でも「学童集団下痢症補償対策担当」が配置されており、現在進行形の問題でもあります。学校給食の歴史に残る惨事となった出来事を、「温かいフルーツポンチ」の存在自体が語り継いでいるのかもしれません。

参考文献

 いずれも堺市立中央図書館で閲覧できます。

  • 文献1 『堺市学童集団下痢症報告書(腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒の概要)』堺市学童集団下痢症対策本部、1997年8月
  • 文献2 O-157対策市民連絡会、堺・子どもの給食をよくする会が1996年11月に発行したチラシ。1997年7月12日開催のシンポジウム『O-157から見えてきたもの〜あれから1年…そして…これから〜』(両会主催)の資料より
  • 文献3 『21世紀を展望するこれからの堺市学校給食のあり方について』堺市学校給食懇話会、1998年9月

 堺市議会でのやり取りは「堺市議会会議録検索システム」から閲覧しました。