2限の授業に出るため月曜日はいつも午前8時ごろにスマートフォンのアラームが鳴る。月曜の授業はこの1コマのみで、多くは午後に大阪市内でアルバイト勤務に入る。6月18日もその予定だった。
目が覚めたのは7時58分。瞬間の記憶が曖昧なのだが、うつ伏せで寝ることがまずない僕が、ベッドに腕立て伏せをするような体勢で揺れをしのごうとしていたので、おそらく小刻みな揺れに気付いて覚醒しとっさに体の表裏を反転させて起き上がろうとしたのだろうと思う。スマートフォンのエリアメールは、後で確認したところちゃんと届いていたのだが「ウー、ウー、ウー」という例のサイレンが聴こえた記憶がない。代わりに、パソコンに入れている「Kyoshin EEW Viewer」の警報音が鳴ったのは覚えている。
揺れが収まりきらない間にドアを開けて廊下を渡り、両親と妹の寝室を見たが誰もいなかった。1階の居間から母親が声を掛けてきて、寝ぼけ眼に「はいはい」と応じた。その頃にはすでに揺れは消えていた。
大学の報道サークルに1月まで身を置いていたので、後輩からもし記事のために揺れの記憶について聞かれてもいいように記憶を整理しようとした。小刻みな縦揺れの後に、横揺れが混じって大きくなった。揺れは30秒くらいか。体感震度は4――。すると居間のテレビのNHKから「七波全中」時のチャイムが流れ、とっさに「(震度)6行ったか」と声を出した。
大阪北部で震度6弱の速報。地震自体には驚いたし大阪で見慣れない震度6の数字にも身構えたが、東日本大震災以降感覚が麻痺してしまったのか、大災害だという認識はその時点ではなかった。とりあえず鉄道は止まるだろう、大学は休講になるだろう、きょうのバイトはどうしようか、と考えた。自宅の堺はやはり震度4だった。
午前8時5分、報道サークル時代の同期が参加するグループLINEに、安否確認の投稿。6弱を観測した市区には大阪大学や関西大学も位置しているので、友人も多く住んでいる。皆素早く無事の返事。とりあえずひと安心。
NHKはヘリを大阪の上空に飛ばす。思ったとおり大きな変化はない。まあそんなもんだよな、と思った。スマートフォンのJR西日本運行情報アプリがプッシュ通知で近畿圏全線の運転見合わせを伝えてきた。ああこれで大学はないなと確信。一応教務情報システムを開こうとしたが、もともと予定されていたメンテナンスのため利用できず歯がゆい思いをする。9時過ぎになって休講を確認できた。
NHKのヘリ空撮。大阪市西淀川区の火災を伝える。まあ朝の時間だしなあ。風が少し出てるから広がらなければいいがと思いながら見守る。とにかくシャワーを浴びてひげを剃ることにした。
上がると、高槻で女児心肺停止の情報。プールで下敷きになったと言ってやはり空撮の映像がながれているのだが、最初はなんのことかよく分からなかった。倒れたブロック塀も、最初はちょうど川の土手のコンクリート堤防のように、垂直に立てられたプール外壁に対して斜めに作られた正常な壁だと勘違いした。あれがプール外壁の上に延長する形で立っていたものだと気付いたのは20分くらいしてからだと思う。
女児死亡の報。悔やみきれないであろう極めて気の毒なニュースに、心が痛む。
10時半頃、アルバイトへどう行くか検討する。地下鉄谷町線が早々に運転を再開したとのことなので、とりあえず天王寺まで出れば大丈夫と判断。阪堺電車が動いていたのでそれを利用することに決め、家を出た。バイトは午後2時からだが、通勤にどれくらい時間がかかるか分からないので11時には出た。
地下鉄天満橋に到着したのが午後0時台。京阪シティモールは軒並み営業休止。スターバックスコーヒーだけやっていたので、ソイラテを注文しスマホアプリ「NHKらじる★らじる」でニュースを聴く。バイト先にLINEで天満橋着、出勤可能、シフトの時間まで待機、と伝える。
午後1時50分、職場に入る。やはりというべきか、いつもより2倍ほど人がいるオフィス。挨拶すると「よく来れたねえ、どうやって来たの?」と問われ顛末を説明。地震時は大丈夫でしたかと互いに気遣い、仕事の状況を聴く。
勤務は午後8時まで。ただ午後5時くらいには既に疲れが出始めた。そうか、無意識に気を張ってたんだろうなと思った。
いつもよりやや忙しかったが、それでも平穏に仕事を終え退勤。帰宅した。