どうした? まだ君を愛する者がいるんだぞ

2018年12月30日

 決して真面目なリスナーではなかった。どれくらい熱心に番組を聴いているかといえば、まあ大したことはない。最初に聴いたのが金曜24時台だった2015年で、ちゃんと聴くようになったのは日曜20時台に移る直前の2017年冬くらい? といっても毎週聴くわけではなく、大体オンタイムで聴ける時か、なんとなく聴こうかなという時でしかなかった。

 明確に、この番組、もしかしてすごい番組なんじゃないかと実感できたのは2017年5月21日「ソウルBAR〈菊〉」。古谷有美アナウンサーとのコラボによる歌詞朗読で完全に、ただものじゃないぞと気付いた。2年前から番組の存在を知っていたにもかかわらず今更すぎる。それくらい熱心なリスナーではなかった。

 それからいろいろと調べると、神回と呼ばれる伝説の放送というのがいくらかあるのを知った。やんごとなき手段を用いてそれらを聴いた。そしてもっとちゃんと聴くべきだったと後悔を強めた。幸いやんごとなき手段は、極めて網羅的に使えるものだった。

 こんなところで書かなくても、他の優秀なリスナーが、神回はこれだと指南してくれている。放送初回のTwo Kitesとアンニュイ・エレクトリーク。第1シーズン最後の「三月の水」。2016年3月11日の「三月の水」。近田春夫「人間誰でも一日に1回は自殺したいと思う」という名言(あと「麦とホップ」「セブン-イレブンの野菜スティックは角が立っている」も)。川勝正幸追悼特集。吉田沙良出演コント回などなど。

 ただ、僕の音楽観の礎ともなった回はやはり、2014年8月29日(それは僕の19歳の誕生日だったのだが)の「ソウルBAR〈菊〉」だ。2018年2月24日のベスト・オブ・ベスト「ソウルBAR〈菊〉」で紹介された椎名純平「世界」の初回紹介時を聴こうと思って、またまたやんごとなき手段で聴いたものだった。

 「生きる事は、そんなに、巷間言われる程辛い事なのだろうか? あなたが今抱えている問題は、両手で揺らす事すら難しい、特殊な合金の巨大な塊の様なものだろうか?」

 当時の僕は(それは今もそうなのだけど)、生きづらさをかなり強めに感じていた。その前口上がストレートに刺さる、そんな状態だった。菊地成孔は、音楽は治癒効果から逃げられないと言った。その証明に流したのは、僕がもう何度となく聴いて、食傷気味で、もはや新たな感動は得られないだろうと思っていた曲だった。

 山下達郎「SPARKLE」が流れた瞬間、胸が高鳴って、身体中を血液が流れているのを感じた。

 僕はそれまで、音楽に救われたという経験はあっても、それでも音楽にどこか懐疑的だった。もうSPARKLEに感動はしないと思っていたから。

 見事に考えが甘かった。

 「常にフレッシュでいること。それが福音の第一番だ。フレッシュでいる限り、人間は自滅しない」

 将来への不安とか、過去への断ち切れぬ後悔とか、他者への恐怖とか、そういうものがないまぜになって、どうかしていたと思う。今もたまにどうかしている。そんなときには必ず「常にフレッシュでいること」ということばを思い出す。音楽は確かに治癒効果から逃げられない。

 それからも毎週欠かさず聴くような信心深いリスナーではなかった。過去の放送と今の放送を行ったり来たりながら、気ままに夜電波を楽しんでいた。

 DC/PRG、ものんくる、スパンク・ハッピーとの出会いは、多分この番組がなければなかったと思う。厳密に言えば、Session-22を聴いているからDCPRGの曲は知っているのだけど、そういうことじゃないのは説明しなくてもいいよね。

 そして菊地成孔の手によるものでなくとも、トム・ジョビン、アース、チャーリー・パーカー、マイルスらをはじめとする音楽に出会えた。それは本当にいい湯加減で粋な出会いだった。

 相変わらず熱心でないリスナーだった僕は、「菊地成孔の粋な夜電波打ち切り」の報を、夜が明けてから知った。

 本当に文化的損失だと思う。これから来るべき、音楽が求められる社会に、電波を通じて音楽の治癒効果を引き出す菊地成孔のトークを聴くことができないのは、本当に社会の損失である。

 だからこそ、打ち切られる本人に言われてしまうなら、リスナーとしては同じように声を上げて言うしかない。「マジで言うけれど、頑張れよTBS」「どうした? まだ君を愛する者がいるんだぞ」

 菊地さん、本当にありがとう。これからも追い掛けます。