▽明日は母の日。阪急三番街の生花店には宵のうち行列ができていた。カーネーションの特売である。そう言えば高校の同期にはすでに2子をもうけた「母」がいるなあ。彼女も誰かの子であり続けはするのだけれど。
▽子を望む気持ちが僕にはまだ分からない。ましてや希死念慮にとらわれる日々。母の日を前にふと親の顔を思い出すと、望んで生んだ子がこれだもんな、と不敬ながらちょっと同情する。
▽どんな子であれ子は子であるだけでかわいい、なんてことが幻想なのは、社会にあふれる虐待や、目に見えない形での親子の緊張が証しだ。だから僕の両親はよくできた人間だと思う。ゆえに、さすがに「望んで生まれてきたわけではない」のような暴言を親に浴びせるような真似はしない。でも多分今の僕の、宙に浮いた生活がその種のプロテストを体現していると思われてもやむを得ないような気がする。子は親を選べないが、親も子を選べない。
(2018.5.12)