俳優の三浦春馬さんが7月18日、亡くなりました。自殺とみられています。
ツイッターでは18日午後にニュース速報が流れた直後から、世界保健機関(WHO)の「自殺予防 メディア関係者のための手引き」を日本語に訳した文書が掲載されている厚生労働省のウェブページを紹介する投稿が相次ぎました。特に三浦さんが首をつった状態で見つかった旨を報じている記事には、手引きの「有名人の自殺を報道する際には、特に注意すること」「自殺に用いられた手段について明確に表現しないこと」という文言を元に、「ガイドラインが守られていない」といった批判が相次ぎました。
こうしたガイドラインは、自殺を扱うメディア表現が自殺リスクの高い人に模倣自殺を誘発させるという研究の成果を反映したものです。
一方で有名人はその動静自体がニュース性を持つ以上、亡くなった時にはニュースになります。ましてや病死でない場合、警察が関与して事件、事故、自殺のいずれか捜査の上で判断することになり、その根拠を明らかにして社会が共有することにも意義は認められます。
こうしたバランスの中で日本の報道機関は、WHOの手引きにそのまま準拠するわけにもいかず、しかし連鎖自殺を防ぐ観点から一定程度参照しながら自社で独自の基準を設け、伝え方を工夫したり、そもそも報道しなかったりするように変化してきました。
日本の自殺報道はどのように変わってきたのか、簡単ではありますがご紹介したいと思います。
おことわり
以下では具体的に新聞記事の表現を引用するなど、過去に起きた自殺事例について詳しく書くことがあります。自殺報道の変化について確認し、批判の参考にしてもらうために必要と判断して掲載します。ご注意ください。
自殺に関する相談窓口や、支援情報はNHKハートネットのウェブページをご覧いただくことをお勧めします。
自殺報道は増えているのか
自殺に関する報道は増えているのでしょうか。朝日新聞の記事検索データベース「聞蔵II」で調べてみました。
朝日新聞東京本社版の朝夕刊社会面に掲載された記事のうち、データベースの記事分類機能で「自殺」に分類されているものの件数を見ます。記事分類機能は1998年12月以降分に使用できるため、1999年から2019年までの年ごとに数字を調べてみます。
記事の件数ベースでは2003年、2006〜2008年、2012〜2013年にピークがあり、その他の時期だと100件前後くらいで推移しています。一方、自殺者数自体は2003年に警察庁の統計で過去最多になったものの、それ以降は高止まりがしばらく続き、2012年以降は3万人を割り込むようになりました。報道の件数と自殺者数がリンクしているというわけではないようです。
ピーク期に何があったのか。2003年のそれと、後2回のピーク期では記事の性質がかなり変わっています。2006年以降は学校などでのいじめに関連した自殺の報道が一定の割合を占めるようになるのです。グラフ中、黄色で示したものが、「聞蔵II」でヒットした記事の中から、見出しや本文に「いじめ」が含まれる件数です。
2006年は10月に北海道滝川市の小学生が、12月に福岡県筑前市の中学生がいずれもいじめを苦にして自殺しており、学校でのいじめが一気に社会問題化しました。「いじめ」を含む自殺の記事件数も急増しており、社会問題に引きつけた形で報道されていることが分かります。
2012年は大津市で前年に中学生がいじめを苦に自殺した問題で、学校や教育委員会の隠蔽体質が明らかになったことで報道件数が増加。2012年暮れにも大阪市立桜宮高で体罰を苦に生徒が自殺。こちらも学校の在り方をめぐる社会問題になり、やはり関連記事が相次いで掲載されています。(ちなみに大津いじめ事件関連は2012年が55件、2013年が11件。桜宮高校関連は2013年が33件)
2003年は報道件数は多いものの「いじめ」を含む記事はそこまで多くありません。実は、2000年前後までは自殺事案が発生したこと自体を伝える記事が多いのに対し、2000年代半ば以降は訴訟や行政の検証委員会の動きなど発生事案よりも賠償や原因究明過程を伝える記事が増えているのです。2010年代後半以降は「過労」を見出しや本文に含む記事も一定登場し、その多くは労災が認められたり、労災認定を求めて裁判を起こしたりする段階で初めて自殺自体が明らかになる例です。
自殺それ自体が記事になった時代
社会問題に引きつけたり、訴訟などの事態に発展したりしたケースが自殺報道の中の一定の割合を占めるようになった現代。逆に言えば、単に自殺事案が発生したというだけでは紙面に掲載されにくくなっているということです。
では自殺それ自体がニュースになった時代の記事はどのようなものなのでしょうか。こちらも「聞蔵II」で検索してみました。
平成に入ったばかりの1989年4月6日、大阪本社版夕刊第1社会面に掲載されている記事は次のようなものでした(【】内は、記事では実名表記)。
大学生が首つり自殺 枚方
6日午前6時10分ごろ、枚方市【町名・丁目】の穂谷川と民家の境にある高さ2.5メートルのフェンスに、柔道着の白帯2本を結んで若い男が首をつって死んでいるのを、散歩中の小学生が見つけ110番通報した。
枚方署の調べで、持っていた学生証から近くで下宿している【大学・学科】1回生【氏名】さん(18)と分かった。下宿の机に「学費をむだにして申し訳ない」と走り書きした遺書があり、同書は自殺とみている。【苗字】さんは【出身市】出身。【出身高校】から推薦で【大学】に入学。3月29日から下宿を始め、3日の入学式に出たあと、オリエンテーションなどを受けていた。
調べでは、下宿の自室は布団や洋服などが荷造りされ、きれいに片付けられていた。ここ2、3日は下宿の食事も半分ほどしか食べてなかったという。
【出身高校】によると、柔道初段で同校柔道部の主将だった。成績も優秀、明るい性格。【大学】をめざし推薦入試に合格、喜んで卒業したという。
この事案はその後社会問題化するような背景を持つものではなく、亡くなった方も著名人ではありません。見出しに「首つり自殺」と手段を含んだ表現を立て、フェンス、白帯2本のように自殺に使った物を明記、さらに部屋の様子も詳しく紹介され自殺に至る経緯を想像させる内容になっています。
その5年前の1984年8月23日、東京本社版夕刊第1社会面には国鉄北浦和駅で、国鉄川口駅長が線路に飛び込み亡くなったことを伝える記事が掲載されています。発生は22日午後10時45分ごろなので、この記事は初報ということになりますが、800字近い文字数を費やして詳しく報じています。
見出しには「遅延事故苦に?」とあり、本文中では国鉄東京北管理局の話として「最近、川口駅で運転事故が二度続いたことを大変気にしていたようで、現段階ではそれしか思い当たらない」という見方を紹介。これらの事故の背景に「駅職員間の連絡不徹底があった、として責任問題を含め気に病んでいた様子だったという」と書いています。現在では発生初報の段階で、周囲の推測のみを元に原因についての見方を伝えることはあまりされていません。
2003年に、入院中だった当時の岐阜県副知事が自殺で亡くなったことを伝える7月28日付東京本社版朝刊第2社会面の記事では、警察の調べに基づく情報として「ベッドの支柱にバッグの肩ひもを結び、ベッドの下で、うつぶせになり首を入れた状態だった」とやはり現場の詳細な状況を伝えています。
表現の改善
自殺報道が連鎖自殺を引き起こすという指摘について報道機関はどのように受け止めてきたのでしょうか。
朝日新聞は2005年に「事件の取材と報道」というガイドラインを公刊しています。この中には「自殺・心中」についても一つの節を費やして扱っています。
報道することによって「連鎖反応」などが起きないように書き方や扱いには十分に注意する。自殺をしないよう呼びかける記事や識者のコメントなどを併せて掲載するなど紙面の作り方を工夫することも必要だ。
そしてこのガイドラインでは「私人の自殺や合意の上での心中は、社会性に乏しいケースについてはデスク判断で掲載しない」とし、報じる場合でも原則匿名で伝え、特に未遂については本人の再起を妨げないよう書き方に十分配慮することが明記されました。
一方で「政治家などの公人、社会人や芸能人などの著名人、大きな社会的事件にかかわっていた人物で、動静自体がニュースとなる場合は報道の対象となる」とも定めています。
2012年改定版の「事件の取材と報道2012」では「自殺報道の意義と危険性」という項が加えられ、なぜ自殺を報じるのかの意義についても触れる記述内容になり、より具体的な報じ方のルールも明記されるようになりました。
自殺を未然に防ぐことは重要な課題であり、報道は、自殺予防に関して積極的な役割を果たすことができると期待されている。例えば、インターネットで一緒に自殺してくれる人を募ったり、練炭で集団自殺するケースが増えたりしている場合、こうした自殺が多発していることを報道することで、自殺予防の機運が高まり、行政や民間での自殺予防の取り組みが促される。しかし、自殺報道が通常の事件・事故と決定的に違うところは、他の自殺を誘発してしまう「連鎖自殺」が起きると指摘されていることだ。
以下、アイドル歌手岡田有希子さんや「X JAPAN」元メンバーのhideさんへの後追い自殺の例や、2008年に硫化水素による自殺が相次ぎ、インターネットに詳細な方法が書き込まれたり大きく報道されたりしたことが関連しているという記述が続きます。
このため、自殺を大きく報じる場合、以下のことに注意する。
①自殺の詳しい方法は報道しない
②原因を決めつけず、背景を含めて報道する
③自殺した人を美化しない
さらに連鎖自殺のリスクが高い、タレントや青少年の自殺を大きく報じる場合も、肉筆の分かる遺書の写真を掲載しないことや、自殺相談窓口の電話番号やホームページアドレスをできる限り掲載するといったことが定められました。
自殺報道はどうあるべきか
本稿冒頭でも記したとおり、三浦春馬さんの死亡が伝えられた直後から、WHOの手引を紹介して報道を批判する声がインターネットに相次ぎました。
しかし初報の段階では、内容がセンセーショナルなものとは言えず、ここまで批判が噴出することに正当性があるのだろうかと思いました。
ここまで述べてきたとおり報道機関の自殺報道は時代を下るにつれて抑制的になってきました。またWHOの手引きでも奨励されているように、自殺リスクの高い人に対して自殺以外の選択肢があることを示す手段として、相談窓口案内を記事と併載する取り組みも増えています。
首をつったという手段自体を伝えるかどうかについても各社分かれたようです。私は、まったく書かなくなってしまえば変な憶測を呼んでむしろ故人や周囲の名誉を傷つけることになりかねないと懸念を感じます(一般に身近な人を自死で失った人もまた、自殺のリスクが高くなると言われています)。
さらに、警察が事件や事故でなく自殺と判断した根拠を示すことは、市民社会にとっても意義のあることだと思います。確かに今回は、速報から少し時間がたって遺書のようなものがあったことが伝えられており、これを手段報道に代えることで事件事故ではないことが説得的に分かります。一方で最初から「根拠を全く示さなくてもよい」という主張がもし成り立つならば、それだけ捜査機関や報道機関を信用するということを意味しており、いまの世間の風潮と相容れないようにも思います。
いずれにしても、連鎖自殺を防ぐために報道がどうあるべきかを考える足がかりにWHOの手引きが役立つことは確かです。一方でそれに全て乗っかってしまえば、別のリスクが生じてしまうことにも留意が必要であり、金科玉条のように使えるものではないでしょう。連鎖自殺の抑止と知る権利の保障、故人やその周囲の尊厳などのバランスをどう確保するか、報道の在り方は絶えず考え続けられなければなりません。
参考
本サイトでは過去に西部邁さん自殺の報道について、WHO手引きと照らし合わせながら検証した記事を公開しています。この際も、基本的にはWHO手引きの理念と、報道機関として伝えるべきことのバランスを取ろうとする新聞記事を評価する一方、西部さんの自殺を美化しかねない表現を批判しました。併せてお読みください。