『分離派建築会100年 建築は芸術か?』(京都国立近代美術館)

2021年2月8日

 大正時代、若き建築家たちが「過去建築圏より分離」し、新時代のための建築を確立させようと設立した「分離派建築会」。日本初の建築運動とされる彼らの歩みをたどった展覧会『分離派建築会100年 建築は芸術か?』が京都国立近代美術館で開かれています。2月6日に見てきました。

 西洋の歴史的建築様式の学習を終えて、大正の新時代を迎えてなお、伝統様式の域を出ない保守的な設計ばかりの日本建築界に一石を投じたのが分離派建築会でした。1920(大正9)年、東京帝国大学建築学科の卒業を控えた石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守の6人が設立。のちに大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が加わって1928(昭和3)年まで活動を続けました。

 展覧会で目を引くのは、彼らによる手描きの図面でした。当然CADなんてない時代に、幾何学的な美しさを精密に再現した図面は、パッと見では手描きだと気付かない出来になっており、翻って図案自体が現代との連続性が感じられるようなものであり、明治的なデザインからの脱却を遂げていることを実感できます。

 分離派建築会の面々が対抗した保守的な建築思想とは何か。その一つが辰野金吾らのような質実剛健な構造の志向です。地震の多い日本ゆえに、何よりも構造がしっかりしていることを重視する考え方で、野田俊彦は「建築非芸術論」とする論文まで書いています。

 建築の芸術性という問いに、分離派建築会の面々は「一人一様式」を掲げてそれぞれのアプローチで挑んだため、統一的な思想は必ずしもありませんが、本展覧会では彫刻の影響と、田園への志向をカギにまとめています。

 有名な滝澤眞弓『山の家』の模型。これが見たくて本展に足を運んだようなものなのですが、この流線美は彫刻の持つ陰影感や質感を映し出しています。堀口捨己による洋館『紫烟荘』は、四角いハコに丸窓という都会的な軽快な構造に大きくて傾斜の強い茅葺屋根をかぶせた設計。他にも農民芸術との関わりなどもみられ、都市の大型建築ではないところに活動の場を求めたことがわかります。

 一方、彼らが芸術や思想として建築運動を発表する場は主に百貨店などで開かれる展覧会であったことは、現代との違いを感じさせます。こうした問題が都市の民衆にとっても関心を得ていたというのが、大正デモクラシーが発展する時代だなあと思いました。

 関東大震災を経て、再び、構造の合理と建築の芸術性の両立という問題に直面した彼らは、多数の大型公共建築を手掛けます。これらは戦争を経て現存していないものが多いのですが、パラボラアーチを反復させた「リズム式」という意匠がユニークな山田守『東京中央電信局』など、数多くの建築が模型や当時の写真で紹介されています。

 さらに分離派は、実生活への関心を高め、建築と家具の調和といった試みも展開。蔵田周忠『旧米川邸』は家具も同時に設計したといいます。展覧会では屋根を取り払った模型が展示されていて、じっくり眺めているとその実用性とかわいらしさが同居するのがとても魅力的でした。

 分離派自体の活動はたった8年間とあっけないものですが、彼らが日本建築史に残した功績はとても大きく、そのブレーク・スルーに至る経緯や思想が丁寧に解説され理解できる、とても楽しい展覧会でした。

撮影可能スペース。中央は山田守、成瀬勝武『聖橋』、右は蔵田周忠『旧米川邸』