高校の部活動ではドキュメンタリー制作、大学のサークルでは新聞製作に従事したのですが、どちらも足を洗ったいま、放送と新聞では文体にどのような違いがあるのかということに関心を持っています。
本ブログではきょうから、新聞記事と放送原稿の実例比較をメモとして紹介していきます。異なるソースの記事を使うと比較がしづらいので、共同通信ソースのものを使います。具体的には新聞からは地方紙掲載の共同通信配信記事を参照し、放送は共同配信の放送原稿を使っていることでしられる「JFNニュース」を文字起こしして参照します。
まだ調査を始めたばかりで具体的に、箇条書きの形で両者の書き換え方法を記述できる段階には至っていません。気付いたことがあれば逐一本ブログでメモしていく形になります。よろしくお願いします。
なお放送原稿の方は、読点やカッコ、漢字仮名表記、段落替えは私が適当に決めて行っていますので、実際に共同通信が配信した原稿通りになっているわけではありません。
【京都新聞 2月21日付朝刊】
安倍晋三首相は20日夜、トランプ米大統領と電話で会談した。27、28両日にベトナムで開かれる非核化交渉を含む米朝首脳会談に向け、首相は日本人拉致問題の早期解決に協力を要請。自身の考え方を説明し、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に直接伝えるよう求めた。トランプ氏は「自分もよく理解できる。拉致問題を重視する」と伝達を約束した。核・ミサイル問題について緊密に意思疎通を図ると申し合わせた。
日米両首脳は、トランプ氏が5月26日から来日することも確認した。皇太子さまが5月1日に新天皇に即位された後、最初に会見する国賓となる見通し。
電話会談後、首相は公邸で記者団に「核、ミサイル、拉致問題の解決に向けて日米のあらゆるレベルで緊密に連携していくことで一致した」と明らかにした。米朝再会談の後、トランプ氏から電話で結果の報告を受けることになったと説明。再会談に関しては「問題解決に結び付き、東アジアの平和と安定につながることを強く期待している」と強調した。
(以下略)
【JFNニュース 2月21日午前0時55分】
安倍総理は昨夜、アメリカのトランプ大統領と電話で会談し、来週ベトナムで開かれるアメリカと北朝鮮の首脳会談で、日本人拉致問題の早期解決への協力を要請し、トランプ大統領は北朝鮮側へ伝達することを約束しました。
安倍総理は記者団に、核・ミサイル・拉致問題の解決に向けて緊密に連携していくことで一致したと表明した上で、米朝首脳再会談の後、トランプ大統領から電話で結果の報告を受けることになったと説明しました。
このほか日米双方は、トランプ大統領が今年5月26日から日本を訪問することも確認しました。
上は放送原稿を段落ごとに色分けし、新聞原稿の内容が一致する部分を同色で塗り分けたものです。
要点列挙か、内容の連続か
大きく異なるのが段落の順序です。トランプ氏の5月来日確認、という内容は新聞原稿では第2段落なのに対し、放送では最後に来ています。
新聞原稿、特に共同通信の配信記事は、配信先の新聞社が全文を掲載してくれるとは限らず、紙幅に合わせて一部を削除して掲載されることも多くあります。そこで載せるべき重要な内容を、できるだけ記事の先頭に配置する傾向がみられます。この原稿では首相の記者団に対する説明は、第1段落のより詳しい内容になっており、なくてもニュースの要点は伝わります。
これに対し放送原稿では、同じ話題は一続きに伝えたほうが、耳だけで聞いても理解しやくなります。
登場人物、数字の削減
次に新聞原稿で登場する金正恩氏の名前が、放送原稿では単に「北朝鮮側」となっていることも気になります。このニュースは安倍、トランプ両氏が電話会談したことがメイントピックなので、2人以外の人名を出すと、耳で聞いたときに混乱しやすいのかもしれません。
一方、放送原稿では「名前+肩書」を崩していないのも特徴です。新聞では2度目以降「首相」「トランプ氏」としているのに対し、放送では「安倍総理」「トランプ大統領」と繰り返しています。
数字についても「20日夜」が「昨夜」、「27、28両日」が「来週」になっています。具体的な数字よりも、放送されている「現在」を基準に、日時を指示語的な言い回しで話したほうが直感的に分かりやすいということでしょうか。
文の長さは「適度」
新聞原稿からは多くの表現が省略されています。例えば米朝首脳会談に係る「非核化交渉を含む」が省かれています。米朝首脳会談の主要議題が非核化交渉であることを示唆するために修飾されたとみられる節ですが、放送原稿ではあまり多くのトピックを入れ込むと理解の妨げになるので省かれたと思われます。
一方で一文の長さという点で見ると、放送は必ずしも新聞より短いというわけではなく、むしろ長くなっています。
この理由はいくつか予想できます。
一つ目は、放送では主語を省略すると違和感が強いから。文を短く切るということは「〜しました」が何度も登場するわけですが、読む新聞と比べて、聞く放送だと「〜しました」のあとに主語もなく文が始まると、唐突で、誰の話をしているのかつかみにくくなります。
二つ目は、呼吸のタイミングが多すぎると原稿をすべて読むのにかかる時間が伸びるからです。読点よりも句点のほうが若干、息継ぎに掛ける時間は長くなります。このためあまりに文の数が多いと、必要な時間が若干増えてしまいます。
三つ目は、意味のまとまりが分かるようにするためです。新聞は段落という視覚的な目印がありますが、放送では息継ぎの長短で理解することになります。文を短く切ると息継ぎの回数が増えるので、どこからどこまでが意味のまとまりかが理解しにくくなることが懸念されます。
ほかにもあるかもしれませんが、こうした理由から放送原稿において一文が「短ければいい」というわけではなさそうです。