やたら飛びたがる天声人語

2015年6月12日

新聞には定型というものがあります。記事の並び順、文体、用語、見出しの付け方などなど。きょうはちょっと特殊な定型の話です。

波照間に水の大切さを学ぶ天声人語

大学の授業で何か調べ物をして発表する必要があり、僕は、ある課題を設定して1980年代の朝日新聞の縮刷版を読んでいました。この調べ物については面白い結果が出ればこのブログでも取り上げたいと思います。で、その調べ物をしているなかで、元日の天声人語ってこの頃何をテーマに書いていたんだろう、とふと思い立ちました。

そこで、 たまたま開いていた1985(昭和60)年1月の縮刷版のページを戻して元日朝刊1面を見てみました。以下が最初の段落です。

本社「千早」機で沖縄の波照間(はてるま)島へ向かった。高度一万メートルの夜間飛行である。満天の星に抱かれるようにして、飛ぶ。やがて濃い紅の帯が東に広がる。暗い青紫の空と、雲の海と、そのはての炎と、それ以外のものはいっさい視界にない。清浄な舞台で夜明けの祭儀が始まる

詩的表現がふんだんに織り込まれた文章になっています。この後記事では、波照間の自然について触れ、6年前まで簡易水道が無く、島では天水を大切にする文化が根付いているという話につながります。最終段落を引用します。

私たちは波照間に学びたい。雨の国に住みながら、雨水をゴミのように下水溝に捨て去ってかえりみないことを反省したい。水と緑と土の生態系をこのように壊し続けて、恐ろしい報いがないはずはないのだ。今年この欄では「水」のことを考えたいし、とくに「雨水を捨てるな」というささやかなキャンペーンを続けようと思う。

なるほど、天声人語の通年キャンペーンの巻頭言という形で波照間が取り上げられたわけですね。新聞らしい特集展開です。

あれ、デジャヴが……

それじゃあ他の年はどうなんだろうと考え、前年の1984(昭和59)年元日の天声人語を見てみました。するとですね……。

未明、本社「千早」機で北へ向かいました。八千メートルの上空からみる夜明け前の儀式では、太陽がまだ雲海のはての、はるか底に隠れている時が一番緊張感があります。太陽の吐く息が暗い深緋(こきひ)の帯となって闇(やみ)ににじんでくる。あらゆる赤の中でたぶんこれほど霊妙で神秘感のある赤はないでしょう

んんん??? また「千早」機が登場している……。また夜明け前の儀式を見ている……。また深い赤色の帯が登場している……。 しかもなぜか「です・ます」調になっている……。

そこでこの周辺の年の1月の縮刷版を手当たり次第に探ってみました。その結果をまとめると以下の表のようになります。

ヘリ行先テーマ
1979ジェットレンジャー富士山・不確実な時代
・価値観の問い直し
1980はやて八丈島・経済成長への疑問
1981はやて北陸の海岸・軍拡への警鐘
1982はやて屋久島・環境保護
1983千早五島列島・戦後繁栄の終焉の予兆
1984千早岩手・早池峰・異文化が集う日本
1985千早波照間島・水の大切さ
1986千早釧路・湿原保護
1987千早奄美大島・異質なものとの共生
1988千早南鳥島・自然の雄大さ

つまり、1979年から1988年にかけて、「本社機」で遠いところにいくのが元日の天声人語の好例となっています。これじゃあもはや、天声人語子が年に一度、会社の金で旅行に行ってるようなもんですな……。ただ、テーマを見ると、物質的な豊かさとに、人々の心の豊かさが追いつかないさまが見て取れます。環境保護、異文化社会、平和というキーワードは、現代にもつながるとはいえ、当時はより切実なものだったのかもしれません。

恒例を大事に

1989年にはまったく違う体裁の内容になり、人語子の年に一度のお楽しみは消えていました。こんなかたちの恒例というのがあったんだなあと思うと、新聞をめくる手が少し楽しくなると思うんです。紙面改革も大事だけど、恒例というのも大事にしてほしいなと、いま改革の機運が高まる朝日新聞には特に願っています。 (と、無理矢理なまとめで締めてみる)