
2020年の年間読了冊数は138冊でした。昨年が139冊でしたので、月平均11冊超のペースを維持して読書を続けられました。今年読んだ本の中から印象的なものをご紹介していこうと思います。
2019年の読書この一年は下記リンクからどうぞ。
身体・認識の不思議さと厄介さ─『手の倫理』『やってくる』
今年読んだ本の中で、最も読書体験としてエキサイティングで、鮮烈な印象のある本は何と言っても伊藤亜紗『手の倫理』(講談社選書メチエ、10月発売、10月12日読了)でした。同じ接触にも、一方的・物的な関わりとしての「さわる」と、相互的・人間的な関わりの「ふれる」という2種類が存在するというところから本書は議論を始めます。
人に「ふれる」と、「ふれた」人の外形や質感だけでなく、その人の感情や意思まで読み取ってしまう。そうした接触という行為自体の、能動・受動という枠組みだけで捉えることの難しさや、信頼を基盤としたコミュニケーションとしての性質について本書は考察を深めます。こうした接触の倫理を考えることには、道徳や時間、空間の存在を相対化する力があるといいます。曖昧で時に自分の意思をも揺るがす「ふれる」「さわる」の不思議さ、厄介さと力強さを明快に論じた傑作です。
身体論では、頭木弘樹『食べることと出すこと』(医学書院、8月発売、10月3日読了)も好著でした。重い潰瘍性大腸炎を患い、食事と排泄を思いのままにすることが困難になったカフカ研究者の闘病記です。
食べられない物なのに「せっかくあげたのだから」としつこく勧められた経験は、食物アレルギー患者である私も共感する話です。ただ、本書が面白いのは著者がこの経験から考察を深めるところ。宗教が教義に食事制限を掲げることには、同じものを食べるものを同志としてまとめ、それ以外の者との分断をもたらすという性質を持っているのではないかという考えに至るのです。
人が当然のようにしている食事と排泄が、人間の感覚、感情、コミュニケーションの基盤に入り込んでいる様に数々のエピソードが気付かせてくれました。切実でありながら、映画やエッセイなどを引き合いにユーモアを交えて展開される文章が魅力的な一冊です。
郡司ペギオ幸夫『やってくる』(医学書院、8月発売、10月11日読了)はデジャブ、ゲシュタルト崩壊のような、なんとなくハッと感じる分かり方を「天然知能」と呼び、その重要性を前面に押し出す啓蒙書です。「天然知能」と対照的に、問いに対する回答という思考をずっと繰り返していく知性を「人工知能」と本書では表しています。
例えば「小さい紙屑ならばゴミ」と掃除ロボットに指示すれば、それがとても重要なメモ書きであっても「ゴミ」と判断してしまいます。人間であれば「小さい紙屑ならばゴミ」という問いと答えに従って事に当たりつつも、重要なメモ書きを見つければ、それがたとえ小さい紙屑であっても、ゴミかどうかを考える前において既に、ゴミとしない判断を下しているのです。
問いに対する回答という思考と、想定外の外部を受け入れる準備とが、同時になされていることが人間において重要であり、こうした懐疑や留保によって外部と接続されている状態を排斥すれば、官僚の「忖度」のような「人工知能」的な知性に堕してしまうと喝破。「やってくる」という受動を待ち構えることを、能動的に選択することに善を見出す思想は、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(増補新版、太田出版、2015年発売、11月14日読了)とも共通性を見出すことができると思いました。
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