おびえることなく、空を眺める─阪神・淡路大震災24年

2019年2月6日

 ビル広告やら照明やらで比較的明るい夜空にあっても星は結構見えるものなんだなと、地元で先月あった観望会(天体の観察会)に参加して感じた。

 主催は大阪・松屋町の天文カフェバー、星カフェSPICA店員のよるうどんさんらで作る有志グループ「Starry(スターリー) SAKAI」。堺市役所前の広場に3台の望遠鏡が置かれ、月、火星、オリオン座などを眺める。

 告知を聞き付けた家族連れから、通りすがりのご婦人までが、時に解説スタッフを質問攻めにしながら夜空を楽しむ。広場のある市街地「堺東」は、ちょうど商業施設が閉業、解体されて東側に少し空が広がったタイミングだった。

 僕自身は天文には疎いのだが、よるうどんさんが高校、大学の先輩に当たり、親しくさせてもらっていて、せっかくだから顔を出した。

 開催日は1月19日。月は満月から少し欠けた状態。夜空を眺めながら、24年前のこの頃もまた、月は満ち、神戸では特に星がよく見えたという話を思い出していた。

 阪神・淡路大震災から1か月近くたった神戸で、慰問ライブを開いたソウル・フラワー・モノノケ・サミットの中川敬は、地震の時と同じ満月を怖がる人々を見た。余震の到来が噂されていた。

 中川は『満月の夕(ゆうべ)』という曲を作る。「解き放て いのちで笑え 満月の夕」の詞で有名なそれは、被災者の心を打った。今では鎮魂の枠組みを超えた普遍性を持って我々の胸に迫るものがある。

 僕には昨年初頭に引退した神戸にある大学の新聞部で、阪神・淡路大震災関連の取材に携わった経験がある。大学関係者にも多数の犠牲が出ている。部にいた間の毎年1月17日の朝は、ある学生が亡くなったアパート跡で手を合わせる遺族の男性と迎えた。

 初めて担当した2016年の朝は、ほぼ快晴で、気温は地震当日の朝と同じくらいの3度台。芯から冷える寒さだった。男性がアパート跡に花を手向け、手を合わせる。その間にも、北側の高架を走る列車の音が一面に響く。

 僕が真っ先に思い浮かべる月や星は、その時のものだ。未だ明けない暗い空の下、青白い光に照らされ、男性は静かに訥々と話す。失くした娘への思いを語った時間は、男性にとってとても大切な時間だと思う。

 今も昔も同じ空を眺めている。しかし人それぞれに、さまざまな文脈を持つ「あの時の夜空」がある。中には危険や恐怖、不安を切々と感じながら付き合った夜空もあったはずだ。

 あの時の神戸の夜空を、僕は知らない。だから部の引退後初めて迎えた今年の1月16日も、この日くらいはと、神戸で明かした。

 神戸の人らが、怯えることなく、楽しく空を眺められるようになったのはいつなんだろう。そんなことを考えながら堺東で楽しく空を見ている僕らの安寧を思った。

 阪神・淡路大震災は1995年1月17日に発生、ことしで24年がたちました。

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