[Super Power Push] 山下達郎 – 音楽ナタリー Super Power Push
http://natalie.mu/music/pp/tatsuro/page/6
2011年のアルバム『Ray Of Hope』発売に合わせて公開された特集記事。菊地成孔の山下達郎論が面白かった。『Ray Of Hope』を聴いた感想として次のように述べている。
今までずっと天使みたいに無垢なバイブスを放っていたのが、今回の作品にはちょっとエグい、老年性のエロティシズムみたいなものが聴き取れる。まあ、シティから密室へ。というだけで軽くエロいわけですが、谷崎潤一郎とかそういう種類の、国文学的な老人性のエロという。
今になって読み返してみると、なるほどと納得するいい分析。谷崎的というのはわかる気がする。
これの次のページには次のように書いてある。
だから雑に聴いたら「これ80年代でしょ」っていう人もいるかもしれない。そこはね、とんねるずと似てるんだよね。日本に80年代っていう時代があったってことの継続。このアルバムはもうそこには戻れない。基本的な部分はもちろん変わってないんだけど、やっぱサウンドはProToolsになったことで変化してるし。それによってもう80年代の曲に聴こえないっていう。それは本当にすごいことですよ。逆に、この音が今の若い人にどう聞こえるのかはすごく興味があります。
これで思い出したのが、宮沢章夫なんかがよく言ってる80年代擁護論。シラケ世代とか言われてきた「80年代」ってそんなにひどいか? という疑問を宮沢なんかは呈しているわけだが、95年生まれのゆとり世代からすれば、軽チャーであっても80年代はやっぱり輝かしい。と、同時に、軽チャーであるはずの80年代が山下達郎を単なるヤングスターに終わらせていないというのが立派な功績だと思う。速水健朗なんかが、95年から20年間、文化風俗に関してはファッションとかを中心にほとんど変わっていないという話をTBSラジオ「荻上チキ Session-22」でしていたけれど、そういう意味で80年代はのちに来る硬直化時代への関門だったのかもしれない。
大瀧詠一の系譜学 (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2013/12/31_1454.php
とあるところで大瀧さんの「分母分子論」の話を聞いて、わかったようなわからないような、という感覚だったので、さらに調べてみた結果たどり着いた。さすが内田樹さん。わかった気にさせてくれる(ほんとうにわかったかどうかはわからない)。『寝ながら学べる構造主義』で登場したような話に関連付けて、大瀧詠一こそ構造主義系譜学の方法を実践している、という旨のお話。日本ポップス伝もちょっとずつ聞いていこう。