政策論争が政局になるとき、ならないとき

政策論争が政局になるとき、ならないとき

思う・考える
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 政治のニュースが劇的に面白いと感じるタイミングというのはそう多くない。政治の世界は無理が通れば道理が引っ込むのが常で、市民をばかにしていると感じることも少なくない。しかし今がその面白いタイミングだと感じる。無理と道理のつばぜり合いが政局化し、道理が実現してしまう、そういう過程を見るとき、胸にざわめきが起こる。

 コロナ禍を受けた経済対策として、国民への給付が「所得制限を付けて1世帯30万円」から「一律1人10万円」に変わることが確実になった。

安倍晋三首相は16日夜、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国民1人当たり一律で10万円を給付する方針を表明した。首相官邸で開いた新型コロナウイルス感染症対策本…
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 単身世帯の人は減額になって気の毒ではある。が、従来案の「世帯当たり」という単位は、世帯分離というあまり意味のない行動にインセンティブを与える。所得制限についても、救済が必要な人に絞ろうとすればするほど捕捉が困難になって、必要な人に救済が届かなくなるパラドックスは経済学ではよく知られている。

 スピードが求められる緊急対策で事務手続きを煩雑にさせる政策が採用される非効率・不合理は、しかし、これまで幾度となく繰り返されてきたことでもある。

 元々、一律給付は野党が主張してきたもので、公明党や自民党の若手・中堅も同様に訴えたものの政府側が一旦ははねつけた経緯がある(朝日新聞デジタル)。ところがここに来て、公明党がさらなる突き上げを政府側に仕掛けた。そしてあれよあれよと、効率・合理の政策が実現することになったのだ。

 経済学を中心にアカデミズムではおおむね評判の悪い軽減税率についても、議論が行われた頃には野党は反対を唱え続けたが、政府与党は押し切った。国会でも紛糾したが、賛否勢力が変動するような事態にはならず、実際に導入されてしまった。

 一方で、新入試制度における英語民間試験は撤回に至った。確かに直接の引き金を引いたのは萩生田光一文科相の舌禍だったかもしれないが、この舌禍自体、すでに民間試験の是非が争点化し、マスメディアも大きく報じるようになってからの出来事だった。もちろん争点化には野党やアカデミズムによる地道な批判が貢献したことは言うまでもない。

 「結局政策じゃなくて政局なんだよ」でも「政局より政策を追求すべき」でもカバーできない事実が今、起きているし、過去にも時折そういうタイミングは訪れているのだろうと思う。

 政策の是非について大きな論議が起こっていてもなお、「他よりマシ」で選ばれ続ける安倍一強体制には、論議を無視できる数の力を持っているはずだ。それでも論議が、あるとき政局に発展することがある。この違いは何なのだろうという好奇心が芽生える。前述の「ざわめき」である。

 その違いを探るのは政治学やジャーナリズムの仕事だろうから、今後の分析に期待したい。こういうことがあるから政治のニュースを追っかけるのをやめられない。