ソースコード=設計図? 専門用語をかみ砕く難しさ

2018年6月6日
ソースコードを「設計図」と訳した日本経済新聞の記事ページ
ソースコードを「設計図」と訳した日本経済新聞の記事ページ

 プログラミング関係に明るい方にはおなじみの「GitHub(ギットハブ)」を日経電子版が「設計図共有サイト」と紹介し、専門の方から異論が相次いでいるようです。ITmedia NEWSが記事化しています。今回は専門用語を記事でどう扱うかを考えてみたいと思います。

「設計図」は良くても…

 「ソースコード」に説明が必要という認識で記事が出稿されているので、一目で意味を理解できる前提で作る見出しに「ソースコード」を使わないのは分かります。場合によっては社名をそのまま見出しにとってもいいと思いますが、日経の読者にはマイクロソフトは常識でも、ギットハブは常識ではないという判断でしょう。私自身は専門外の人間として、ソースコードもギットハブもストレートで使うことには抵抗があります。

 他紙でも2012年1月19日付の朝日新聞朝刊社会面には「ウイルス対策ソフト『設計図』盗難 『ノートン』06年版など」の見出しで記事が掲載されており、本文では「ウイルス対策ソフト大手の米シマンテック社は18日、ウイルス対策ソフトなどの設計図にあたる『ソースコード』が何者かによってアクセスされ、盗まれていたと発表した」としています。

 私自身「ソースコード」が何を表すのか大体は分かりますが、プログラミングはエクセルVBAやHTMLの手打ちしか経験がなく専門家でもありません。ゆえに厳密な定義は分かりませんが、「設計図」という比喩自体はそこまで違和感がありません。

 ただ「設計図」がソースコードの比喩だという前提が文脈上明らかでない場面で、ギットハブを「設計図共有サイト」と書いてしまうのは勇み足だと感じます。それだと原義の設計図の共有サイトと誤解されてしまうからです。ITmedia NEWSの記事によると日経電子版の当初の見出しは「マイクロソフト、設計図共有サイトを8200億円で買収」で、まさに勇み足の場面と言えます。先ほどの朝日の例では、比喩であることを表すカギ括弧を付けたり、前に「ソフト」の語を入れるなどの配慮が見えます。

 またそもそも「設計図」ではなく「設計書」の方がしっくりくるかもしれないとは思いましたが、確信はありません。

用語処理の方法は

 そのまま出しても分かりにくい言葉は、何らかの説明を加えて読者の理解を促すのが一般紙の常道です。あらゆる層の読者を想定しているためです。日経新聞も経済紙なので、経済用語の使用基準は一般紙と異なる部分がありますがIT用語となると別なのでしょう。逆に言えばビジネスの現場でITへの理解がまだまだ薄いという証拠でもあります。

 専門用語をかみ砕く方法にはいくつかパターンがあります。

 一つ目は直訳をカッコ書きするもの。「インフォームド・コンセント(説明と同意)」などがそれに当たります。主に海外で生まれた新しい概念を表す言葉にこの例が多いでしょう。略語などでは「格安航空会社(LCC)」などのように、日本語の訳を書いてから略語の方をカッコ書きすることもあります。

 二つ目は比喩パターン。これは科学技術系の記事で圧倒的に多いと思われます。ソースコードの例もそうでしたが「インターネット上の住所に相当するドメイン」などの例があります。

 そしておそらく反発の大きいパターンの一つが、その語の持つある側面を抜き出して紹介するパターンです。例えばSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を共同通信は「会員制交流サイト(SNS)」と書きます。確かに会員登録して他者と交流する機能を持つサイトではあるので間違いではありませんが、SNSを活用する方々はどこかしっくりこない部分があるのではないでしょうか。これはSNSが持つウェブサービスとしての側面の一部分を切り取った訳だからでしょう。

 また「性的少数者(LGBT)」と書く社もあります。本来LGBTは性的少数者全体ではなくそのうちの4カテゴリーを表す言葉ですが、かつて「性的マイノリティー」=「同性愛者」か「性同一性障害」というイメージを打破するきっかけにもなり、社会に浸透しつつある「LGBT」を記事や見出しで使いたいという意向の現れなのでしょう。

専門用語の使用回避例も

 さらにそもそも専門用語を使わないというテクニックもあります。医学系の記事などで顕著です。これは記事の中で使う専門用語を限定し、それ以外は一般用語にしたり、その専門用語に関連付けた表現にする例です。次の記事をご覧ください。

 新潟大学は脳疾患の症状を改善する薬剤候補となる新たな化合物を開発した。脳内の水の流れを円滑にすることで、疾患の要因となる老廃物の排出を促進させる。アルツハイマー病やパーキンソン病などの新たな治療法の開発につながる可能性がある成果だ。

 アルツハイマー病などの脳疾患は異常なたんぱく質などの老廃物が脳に蓄積、滞留するのが一因と考えられると従来の研究で分かっている。

 五十嵐博中教授らの研究グループは脳の8割と大部分を占める水の流れを調整する「アクアポリン4」と呼ぶたんぱく質に着目。シミュレーション(模擬実験)を繰り返し、細胞を用いた実証実験を70回以上重ねてアクアポリン4の機能を促進することができる化合物の作製を進めてきた。

 (以下略)

脳疾患薬、候補物質を開発 新潟大、老廃物の排出促進(日経新聞 2018/6/6付)

 この記事では、老廃物排出を促すたんぱく質については「アクアポリン4」という名前を出していますが、薬剤候補となる新化合物(TGN-073)や、アルツハイマー病などの脳疾患の原因になる異常なたんぱく質(アミロイドβ)については名前を出していません。いずれも新潟大ウェブサイトの発表では名前が出ています。

 ただ専門用語自体に、記事に盛り込まれるべき価値がある場合はこの方法を使えません。ギットハブはまさにその例だったでしょう。

質量=重さ?

 記憶に残る力業があります。僕が高校2年の頃の話で、当時友達と「あの説明はないよなあ」と言い合ったのを覚えています。

 2012年7月5日付朝日新聞朝刊1面に、ヒッグス粒子が見つかったという記事が出ました。物理学の理論上存在を予言されてきた粒子がついに実在を証明されたとのニュースですが、記事中でヒッグス粒子を「万物に質量(重さ)を与えると考えられてきた『ヒッグス粒子』とみられる新粒子」と紹介しました。

 同期は「質量=重さ、なわけがない! gとmgは違うやろ!」と言っていました。中学理科でも基本事項として登場する「質量」をストレートに「重さ」と書くのはさすがにまずいだろうと僕も思いました。

 しかし2016年12月1日付広島版「『謎解き、楽しかった』 ノーベル賞の梶田氏、広大で講演 /広島県」でも「ニュートリノに重さ(質量)があることを発見」と書いているようです。今年1月7日付朝刊の 「(科学の扉)たんぱく質で考古学 古代壁画の固着剤、ウシ由来と判明」では注釈なしに「質量」と書いていますが、科学面ではない一般紙面でも注釈なしに変えたのかは分かりません。

 まあ重力加速度がゼロでなければ、質量があれば重さも自動的にあることになり「万物に与える」「ある」という文脈においては質量と重さを入れ替えても間違いではないことになりますが、質量と重さは義務教育で区別も含めて習う基本事項。さすがに一緒にするのはひどく抵抗感がありました。

専門家も情報のプロではない

 このように文脈を限ったり、微妙に意味が違って伝わったりすることもある、専門用語の言い換えや説明。しかし、ある程度の正確さ、厳密さを犠牲にしてでも、読者の理解を促すために言い換えを行うことはやむを得ないと思います。

 専門家と記者では、言葉を用いる目的が異なります。これはそれぞれにプロフェッショナルとしてのポリシーがあるため、互いに譲りづらいところかもしれません。専門家の指摘は傾聴すべきですが、あくまでもそれはその業界の専門家としてのスタンスであり、物事を読者にとって価値ある情報に仕上げることの専門家であるマスコミが守るべきルールとは相容れないこともあります。

 互いに敬意を持ち、専門家は専門家なりに記者を納得させる説明をすべきですし、記者も「ここまでならOK」というラインを専門家と探るべきでしょう。そして読者も、そうしたせめぎあいを見つつ、やはりそれぞれのプロフェッショナルとしての仕事に敬意を持ち、読者として情報を吟味するしかないと思います。