フォーラム「音楽文化から見る『アメリカ村』~戦後大阪のポピュラー音楽史再考~」

 ファッション文化の側面からは多くの研究がある一方で、音楽文化に着目する研究は少ないというアメリカ村の歴史について、大阪初の中古レコード店「キングコング」代表回陽豊一さんに聴くフォーラムが23日、大阪市立大学であり、聴きに行きました。アメリカ村にも音楽にも疎い私ですが、勉強になりました。

 今でこそアメ村や心斎橋、堀江といった界隈はライブハウスが林立していますが、そういう風景は90年代後半からのこと。一口に若者文化の発信地といっても、時代とともにその実態は変容してきたことがよく分かりました。

 アメ村は日限萬里子が1969年に繊維問屋や百貨店の倉庫街だった炭屋町で喫茶店「LOOP」を開いた後、1970年代にサーファーショップや輸入雑貨店が現れたことで自然発生的に形成された街だという説明がよくされます。間違いではないものの、回陽が「絶頂期」と感じている1970年代後半には、研究によるとこうした店舗が10店舗ほどしかなかったといいます。

 しかし80年前後には西海岸ブームが退潮し、ロンドンやヨーロッパブームへの移行がみられると賑わいもピークを過ぎて、閉店と新たな店の流入の時期に。地価高騰のなか、82年にホテル日航大阪、83年に無印良品と相次いで大資本が進出します。こうした状況は日限や回陽らには危機意識をもたらし、「アメリカ村ユニオン」を作って街の活性化のため、パレードなどの催しを展開した結果、再び訪れる若者が増えたといいます。「発展していくのは止められない。自然な文化の流れであって我々が西海岸風に戻すなんてのはとんでもない。いろんな変化はありつつも、商売を変えながらも(街は)流行り続けていった」と回陽さんは回顧します。

 80年代半ばにはインディーズブームが起こり、「キングコング」はラフィン・ノーズ、ボア・ダムスの自主制作盤を支援。ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬もスタッフとして働いた時期もあり、インディーズ音楽シーンのハブ的役割を担いましたが、回陽さん自身は「心ある人たちが売り込んできただけ。自分は何もしていない」とあっけらかんと話していたのが印象的でした。

 93年にはファッションビル「BIG STEP」ができ、この中にライブハウス「BIG CAT」も入ります。キングコングも94年に出店。この時は大資本の中でやることに批判もあったといいますが、BIG STEPには大丸や高島屋も関与していたため「百貨店に選ばれたというステータスのおかげで、ちょうどバブル崩壊で全国のファッションビルに空きが生まれて催事場で埋めていた時代に全国から声がかかるようになった。ステータスがあるからワガママが利く面もあった」と振り返ります。

 「アメリカ村は慣れない人は慣れない、合わない人は合わない街だと思う。人の真似をしたくない、自分のファッションを作り上げたいという人がいて、逆にそういう人たちが自分のファッションを披露する場所がなかった。そういう人たちも初めは下手でこなれず、洗練されていない。うまくなっていくにつれて東京に持ち込まれて『東京発』として紹介されたりする」。アメリカ村を拠点に長年、若者文化を見つめてきた回陽さんだから話せる貴重なお話でした。

 興味深かったのは、80年代半ばにレベルの高いインディーズバンドが輩出した一つの理由として、「三宅裕司のいかすバンド天国」が関西では放送されず、一時的に大量消費されるようなバンドを出現させる仕掛けがなかったからではないかという説が提示されたことでした。当時はまだ今よりも大阪と東京の間で良くも悪くも情報伝達に壁があった時代。現在の「大阪=吉本」的なイメージで回収しきれない大阪を垣間見た思いでした。

第4回都市文化研究フォーラム「音楽文化から見る『アメリカ村』~戦後大阪のポピュラー音楽史再考~」
▽主催=大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター(UCRC)
▽日時=2019年11月23日午前10時〜11時半
▽場所=大阪市立大学学術情報総合センター
▽発表者=加藤賢、柴台弘毅(ともにUCRC研究員)
▽ゲスト=回陽豊一(「MUSIC STORE KING KONG」代表)