自社の報道部に1年半にわたりカメラを向け続け、報道する側の矛盾を生々しく描いた 東海テレビ(名古屋)のドキュメンタリー「さよならテレビ」(2018年9月2日放送、77分)が22日、あいちトリエンナーレの映像プログラムとして愛知芸術文化センターで上映されました。
「セシウムさん」事件で、まさにそのテロップが流れた番組のキャスターだった 福島智之 アナウンサーのテレビ局の顔としての苦悩。本多勝一 や 鎌田慧 に憧れジャーナリズムとは何かを考え続ける崇高さを持ちながら、経済紙、専門誌、地域紙と業界を転々とし、外部スタッフとして東海テレビに身を置くベテランの外部スタッフ。働き方改革と人手不足の中、契約社員として招かれるもミスを連発し、契約延長の可否を案じて焦りを隠せない若手記者。この3人を軸に、番組は展開されます。
取材対象にカメラを向ける仕事なのに、自分が向けられると困惑し、果ては声を荒げるデスクたち。共謀罪法案が論議されるさなか、ジャーナリズムが警鐘を鳴らすべきだと取材に出る外部スタッフと、そんな堅い理屈に関心を持たない職場など、いわゆる「告発」モノとして見ることもできるといえばできる。
だけど、むしろここで描かれる3人はどんな職場にもいるようなキャラクターで、とても普遍的な題材になっているのではないかと思いました。
上映後に 阿武野勝彦 プロデューサー、土方宏史 ディレクター、あいちトリエンナーレの 津田大介 芸術監督によるアフタートークが開かれ、制作の舞台裏などが語られました。
「とても再放送なんて口に出せる雰囲気ではなかった」(阿武野さん)というほど、放送前後、社内の空気が悪くなったといいます。この番組は良くも悪くもテレビドキュメンタリー的構成を散りばめており、「テレビの常道」を行くような傑作番組と言えます。実際土方ディレクターも多数の社員を撮り続けた上で、この3人を軸にしてまとめ上げたことには「視聴者の期待に応えたい」という極めてテレビマンとしてまっとうな精神がありました。
決して大文字の正義を語るわけではない、そんな「めちゃくちゃ面白い」テレビ番組を受け入れられないテレビマンたちを想像すると悩ましくなります。
「さよならテレビ」は来年1月に、110分に再編集の上、劇場公開されます。
あいちトリエンナーレの国際現代美術展のほうも見てきました。あまり時間が取れず、ゆっくり見ることはできませんでしたが……。
袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の「日常演習」は、台湾で毎年春にある防空演習で、人が消えた街の様子を撮影した映像です。巨大なスクリーンに映し出されたそれをじっくり眺めていると、日常と戦争が隣り合わせであるような感覚があるのに気付きます。
菅俊一「その後を想像する」は、モニターに映されたアニメーション映像が、なにかが起こる直前に暗転して結果を見ることはできない仕掛けになっています。たいていその結果は予想がつくもので、暗転した瞬間に思わずニヤリとしてしまいます。
村山悟郎「環世界とプログラムのための肖像」は、人間の顔のように見えなくもないカラフルな絵が、スマートフォンカメラの顔認識機能で認識されるかどうかを「+」と「-」で表しています。
「表現の自由展・その後」の展示中止に抗議する作家らの作品が展示取りやめになっているなど、すべての作品を楽しめるわけではありませんが、現場はネット上のような喧しい感じはなく、ゆったりと鑑賞できると思います。作品の多くは撮影、シェア可能です。ぜひ足を運んでみてください。