映画『街の上で』

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 誰が言い出したことなのかは判然としないが、「人は二度死ぬ」という金言を僕は永六輔が語ってきたものとして知っている。一度目は肉体的な死であり、二度目は人々から忘れ去られた時。だから誰かの記憶の中にその人が存在する限り、人は「生きて」いる──。そういう話であった。

 つまり「不在」は消えてなくなってしまったものではなく、「存在」の形態の一つなのだ。この映画のキャッチコピーは「誰も見ることはないけど確かにここに存在してる」だが、本作はまさにこのテーゼ一つを120分超の映像として成り立たせた。

 主人公の荒川青(若葉竜也)は下北沢の古着屋で働く20代後半の青年だが、彼女・川瀬雪(穂志もえか)にさんざんな振られ方をしてしまう。「なんで浮気された上に振られなきゃなんないの?」という、暖簾に腕押すような無念を抱えながらずっと引きずっている。

 そう、「不在」の存在というのは、くせものなのだ。問いかけても答えてくれないその存在とどう距離を取るかは、残された人間が一人でもがくしかない。だから「不在」はなかなか消えない。本作には登場人物それぞれにとっての「不在」が存在し、それとの向き合い方に苦労する過程で生まれてしまうちょっとした「異常」な行動が可笑しい。

 そういう視点で見ると、他とは少し趣の違うシーンが、古着屋を訪れてくる男女ペアのところだろう。男がTシャツを求め、女に似合うかどうか尋ねるという会話は至って普通なのだが、話を聴いていくとなんとその2人はすでに別れたカップルであり、男は別の女に告白するための服を買いに来ていたのだ。しかも服選びに付き合うのを申し出たのは女の方だったという。

 店員として服選びのアドバイスをした青に女は「これで告白成功したらあんたのせいだからね」と八つ当たりし、男は「いやいや店員さん関係ねえだろ」と常識的なことを言う。が、男のやっていることは常識を外れている。

 こういう常識と非常識が入り乱れる、青もドン引きのシーンは、男も女も「不在」と向き合わない結果起きている可笑しさと言えるだろう。人間はそう簡単に「不在」を受け入れられるものではないのだ。

 この厄介な「不在」という存在は、いま図らずも新型コロナウイルスの蔓延によって、以前にもまして人々に立ち現れている。本作が撮影されたのはコロナ前の下北沢であり、再開発によって当時の風景はもはやないそうだ。さらにはコロナ禍によって消えつつあるカルチャーもあるだろう。

 「不在」を前にぎこちなくなる人間の分からなさは、同時に愛おしさにも転換しうる。だから何気ない生活が大切なのだ。元々昨年に公開予定だった本作はコロナ禍で大幅に公開が遅れたが、普遍性と時代性を併せ持つ本作がいま上映されていることに意味はあると思う。

(今泉力哉監督、2019年制作、2021年公開)=2021年4月10日・11日・17日・24日、テアトル梅田で鑑賞