小島庸平著『サラ金の歴史』

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 サラ金を扱った本と言うと、苛烈な取り立ての末の惨劇を告発するルポか、あるいはカリスマ創業者の武勇伝的な一代記か、はたまた反社会勢力とのつながりを示唆する実話誌的なノンフィクションか、そういったイメージを持つかもしれませんが、本書はそういった本ではありません。

 銀行のように低利で堅い貸し手からは借りられない、貸し倒れリスクの高い相手にお金を貸すことが、ビジネスとして成立することは本当は不思議なことのはずです。「貸せない」相手にいかに「貸せる」ようにするかは、フィナンシャル・インクルージョン(金融包摂)とよばれ、世界の課題の一つで、バングラデシュで貧困層向け融資を成功させたグラミン銀行は2006年にノーベル平和賞を受賞しているくらいです。

 そう考えると、それまで貸せなかった人を貸せるようにしてきたという意味で、日本のサラ金も、金融の「技術」を革新させてきた側面があるはずです。本書ではこのサラ金がどうやって、金融の技術を革新させ、経済合理性を備えるビジネスとして歩んできたかに着目します。

 本書を読んでまず驚くのは素人金融が活発だった時代でしょう。いまでは、親しい人間に金を借りることは最も戒めるべきことの一つですが、戦前は親戚や友人といった人間関係の間で高利で金を貸し借りすることはよくあったというのです。会社、あるいは部署には一人、素人金融で副収入を得るような人間もいた、なんていう逸話もあるくらいです。頻繁に顔を合わせる仲であれば、債権も回収しやすいので実は合理的なのです。本書はこうした元々ある人脈の中で、信用評価の術を磨いた者がのちにサラ金の創業者となっていくという見立てをしています。

 しかし人脈では貸せる範囲に限界があり、ビジネスとしては行き詰まってしまいます。より不特定多数を顧客としていく画期は、1950〜60年代「団地金融」と呼ばれる、団地住まいの専業主婦を対象にした少額融資でした。所得のない専業主婦に金を貸すのはリスクが高いように見えますが、信用審査は、世帯が団地入居のための厳しい条件をクリアしているということで代替できてしまいます。さらに当時は、働き手は夫、家政は妻という性別役割分業が明確な時代であり、家計管理の責任を一手に担う妻は夫に隠して借金をするので、返済も一生懸命になります。戦後の民主化で、民法上の妻の権利が拡大され、夫の許可なしで契約を結べるようになったことも押さえておくべきポイントです。

 一方、働き手である男性を対象としたサラ金は、ちゃんとした会社で働いているということが、信用の担保となりました。団地金融とは違い、男性の借金動機は遊興費が多いのですが、これも情意考課を基本とした企業社会の中で、夜や休日の付き合い・接待に出ることがサラリーマンとしての「通俗道徳」であったことが影響しています。

 このように「金融技術」に加えてもう一つ本書が注目している軸は借り手をとりまく通俗道徳や家族規範です。本書が単なる経済史にとどまらない視野の広さが新鮮で、サラ金をテーマにこういった語り口で社会を眼差すことができるのかという面白さがあります。

 もちろんサラ金をテーマとする以上、過酷な取り立てや、サラ金創業者の思想、サラ金企業で働く人たちの労働環境、弁護士らを中心とした被害者組織の活動、貸金業規制をめぐる政治・業界・運動・世論の攻防といったところにも目を向けます。

 決して本書はサラ金が引き起こしてきた惨劇から目をそらし、都合のいいところばかり見ている本ではありません。しかし、これまでありがちだった告発的な批判とも、業界の欲望が見え透いた宣伝とも距離を取った筆致としているのは、常にこの社会に身近な存在として在り続けてきたサラ金の歴史を通じて、サラ金を遠いもの、異質なものとして扱うのでは見えてこない市民社会の近現代史を明らかにするためでしょう。経済学者の手による本書が、「消費者金融」ではなく、あえて負のイメージも伴う「サラ金」をタイトルに掲げた意味はここにあります。

(中公新書、2021年)=2021年3月3日読了

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