宮本太郎『貧困・介護・育児の政治──ベーシックアセットの福祉国家へ』

 本書を読む前、日本の福祉体制が「扶養義務」を基軸に作られているのではないかという問題意識を持っていた。

 例えば所得税の扶養控除は、扶養される家族が所得がないゆえに基礎控除を事実上受けられないので、代わりに扶養義務を負うものの所得から差し引くという立て付けである。しかしこれでは、子どもはただ子どもであることだけではなく、誰か特定の人間に養われるという状態をもって初めて、社会保障の土台に乗ることを意味するのではないか。あるいは、扶養義務への報いとしての親に対する福祉であって、子どもそれ自体に対する福祉ではないのではないか。

 もちろん実務上は、民主党政権の子ども手当でも、支給されるのは子ではなく子の扶養者であることには変わりない。でも親の所得によって実質的な給付があるかどうかが左右されない点では子ども自身に重心が移っていることはたしかだし、前身の児童手当では、児童養護施設に入所している親のいない児童は排除されていたが、これも改善された。

 給付の普遍性を重要だと考える一方で、ベーシック・インカム的な給付を求める声が近年強まっている中、もっと泥臭いアプローチへの関心が薄れているような感じもしている。とにかく金を配れば解決、という論調が幅を利かせており、そこには金を配ったのだから後は自分でなんとかすべきだし、できないなら本人の責任だ、という文脈が混じっているような感触がある。

 そんな中読んだ本書は、こうした何となく感じていた日本の社会保障の枠組みに対する違和感を、きっちり整理し見通しを良くしてくれた。

 日本の生活保障は、行政は規制・保護による企業経営の安定、家庭は性別役割分業、企業は男性稼ぎ主とその扶養家族の所得保障、という行政・家庭・企業の三重構造を取っていた。また、生活保護など低所得者への社会保障は極めて抑えられてきた。

 つまり、三重構造に当てはまらないと社会保障の恩恵にあずかれない点で「普遍主義」ではないし、かといって低所得者に絞って手厚く支援する「選別主義」でもなかった。

 三重構造が崩れるなか、新しい社会保障体制を目指すに当たり、普遍主義的な立場を取る社会民主主義と、選別主義的にして公費を抑制したい新自由主義、そして家族による自助を強調する保守主義という相異なる立場が存在し、せめぎ合う。

 著者は、社会民主主義的な形で新しい社会保障制度が実現する時は、自民党体制が動揺する「例外状況」であると言う。自社さ時代の介護保険制度、民主党政権による子ども手当、最低保障年金構想、そして民自公3党合意による社会保障・税一体改革などである。

 ただ社会民主主義的な政策が実現してほどなくすると、「磁力としての新自由主義」が存在感を増す。社会民主主義的政策が「例外状況」で実現するのは、それが社会民主主義ではない立場の思惑と一致するからである。

 例えば介護保険制度なら、財政再建を目的とした増税のための布石として大蔵省が味方についた。民主党政権時代には、さまざまなアプローチがあり得るはずの雇用・就労支援を給付に絞って自助を促すという新自由主義的な立場と結びついた(例えば求職者に対する給付が作られた代わりに、ジョブ・カード等の政策が「仕分け」られた)。

 著者の言う「ベーシック・アセット」という概念はピンと来づらいものだったが、日本の社会保障をめぐる政治の歩みを語る上での枠組みが優れている点で抑えておくべき本であることに間違いない。

(朝日選書、2021年)=2022年1月1日読了

貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ 宮本太郎(著/文) - 朝日新聞出版 | 版元ドットコム

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