13日夜に放送されたTBSラジオ「荻上チキSession-22」の特集「J-POPにも登場⁉『愛国ソング』~その傾向と対策」が非常に面白く、示唆に富んでいたので、その内容を書き起こして記録します。RADWIMPSの「HINOMARU」騒動をきっかけに、愛国ソングをどのように受け止めればよいのかを考える指針になりそうです。
出演はパーソナリティーの荻上チキさん、アシスタントの南部広美さん、ゲストは近現代史研究者の辻田真佐憲さん、大阪市立大教授の増田聡さんです。
番組の音声は放送1週間後までRadikoで聴けます。また音楽はカットされますがTBSラジオクラウドでも聴取できます。詳しくは番組ウェブサイトをご覧ください。
書き起こしは相槌や繰り返しなど、省略しても問題ないと判断した表現を一部省いていますが、基本的には喋ったとおりに起こしています。文章として読むと冗長に思える部分があるかも知れませんが、ご了承ください。また節題は私が独自に挿入したものです。
【編注】
▽2019年5月19日、3記事に分割していたものを一つの記事に統合しました。
▽2019年12月3日、紹介された曲などのリンクを追加しました。
近年増える「愛国ソング」
南部広美 人気ロックバンドRADWIMPSが今月6日に発売した新曲「HINOMARU」が波紋を呼んでいます。「HINOMARU」はフジテレビ系のサッカー番組のテーマ曲に決まっている「カタルシスト」というシングルに収録されている曲で、歌詞の中に「風にたなびくあの旗に 古(いにしえ)よりはためく旗に」「気高きこの御国の御霊」といったフレーズが登場するため、ツイッターなどで「まるで軍歌みたいだ」といった疑問や批判の声が上がり、炎上状態となりました。これに対し、作詞作曲を手がけたRADWIMPSのボーカル野田洋次郎さんはおととい、自身のツイッターで「そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません」とした上で「傷ついた人達、すみませんでした」とツイートしました。
野田さんが謝罪する事態になったことを受けて「表現の自由があるのに」「言葉狩りではないか」などといった声も上がり、この問題を巡って議論が続いています。
この他最近では今年4月、人気デュオ「ゆず」が発表したアルバムに収録された「ガイコクジンノトモダチ」という曲に「君と見た靖国の桜はキレイでした」という歌詞が出てきたり、2014年には椎名林檎さんの「NIPPON」という曲が話題になるなど、J-POPの中にも愛国心を感じさせる曲がたびたび登場しています。そこで今夜はこうした愛国ソングの背景に何があり、どのように受け止めるべきなのか議論していきたいと思います。
では今夜のゲストをご紹介してまいります。
まず文筆家で近現代史研究者の辻田真佐憲さんです。よろしくお願いします。
辻田真佐憲 よろしくお願いします。
荻上チキ よろしくお願いします。
南部 辻田さんは政治と文化芸術の関係を中心に執筆を続けられていて、著書に「ふしぎな君が代」「日本の軍歌」などがあり、最新著作は「空気の検閲 大日本帝国の表現規制」です。
そして続きまして、ポピュラー音楽などを研究する大阪市立大学教授の増田聡さんです。よろしくお願いします。
増田聡 増田です。よろしくお願いします。
荻上 お願いします。
南部 増田さんのご専門は音楽学、メディア論、大衆文化論で、著書に「聴衆をつくる 音楽批評の解体文法」などがあります。
「軍歌じゃない」「借り物の表現」
荻上 まず2人に今回の騒動についてどういう風にご覧になったのか伺いたいんですが、辻田さんはどういう風に見ていますか。
辻田 これは私のツイッターに「軍歌っぽい曲ができたよ」とみたいな通知があってですね、ああそうなのかと曲を聴き、歌詞も読んで聴いたんですけれども、これ軍歌じゃないなと思ったんですね。それなのにこれが軍歌っぽい、あるいはそうじゃないんだと議論になっているので、その全体像が間違っているのかなという印象を持ちましたね。
荻上 そのあたりについては後ほど、具体的に曲を聴きながら伺いたいと思います。増田さんはいかがですか。
増田 辻田さんと似たような感想なんですけれども、言葉遣いが非常にぎこちないというか、表現が借り物的な言葉という印象を持ちまして、RADWIMPSのそれまでの音楽をいくつか聴く中ではかなり異色というか特殊な感じを受けましたね。
荻上 なるほど。そうした中でいろいろな言葉遣いを巡っていろいろな議論が行われているわけですが、何と言っても曲を聴かなければ四の五の言っても仕方ないということで、今回話題になっているRADWIMPSの「HINOMARU」という曲を聴いてみたいと思います。リスナーのみなさんも、特に話題となった歌詞の部分をじっくり聴いてみてください。
♪RADWIMPS「HINOMARU」
荻上 というわけで「HINOMARU」の1番を聴いていただきましたけれども、辻田さん、これが軍歌っぽいと言われているけれども軍歌ではないなと感じた、その辺りはいかがですか。
辻田 軍歌をどういう風に理解するかということだと思うんですが、軍歌っぽいと言う人たちは歌詞が戦前の軍歌に似ているところがあるというところで軍歌っぽいと言っているわけですけれども、歌詞が勇ましかったり戦前の軍歌と似ていれば軍歌なのかというと、そんなこと言ったらアニメソングとか戦隊もののヒーローソングだって軍歌になっちゃうわけですよ。
荻上 「飛び上がれ」とかありますからね。
辻田 そうなんですよ。軍歌っていうのは社会的機能によって定義されるべきで、つまり戦時下に国民を団結させたりとか、士気を高揚させたりということを目指した曲、あるいはそういう機能を果たした曲を軍歌って言う。そう考えるとこの歌はそういう機能を果たしたわけではない。少なくとも現状では。だからそういった意味では軍歌というよりは、作ったご本人がSNSで書いていますけれど、日本が好きだという感情を表した歌だと。そういう意味では「愛国歌」「愛国ソング」と言ったほうが適切ではないかと思いますね。
荻上 なるほど。このあたり増田さんはどういう風にお聴きになりますか。
増田 愛国ソングという風な感じなんですが、それにしては我々現在こういった言葉遣いでは自分の国のことを歌ったりはしないだろう。「僕らの燃ゆる御霊は」って日常用語では普通使ったりしない。そういう点では我々が使い慣れていない借り物の表現、「愛国的」のテンプレートみたいな、そういったものをつなぎ合わせた印象があって、なんともぎこちない表現だなという印象を持ちましたね。
荻上 そうですね。RADWIMPS、例えば「ふたりごと」などでね、初期にヒットするとか、それ以前からもミュージックビデオなんかで当時見ていたので、曲の変遷は追っていて個人的にもすっごく身近なアーティストの1人ではあるんですけれども、すごく繊細な感情を内向的な言葉で、しかし内向的な出来事をものすごく壮大なワードと一緒に歌うんですね。ある意味スピリチュアルにもなりうるような、「君」との愛の関係性を例えば宇宙の歴史の一つと位置付けたり、すごく大きな出来事と「君」との関係性をいろんなワードで巧みに表現していく。そうした言葉遣いとかメロディーづくりは今までのミュージシャンと比べても優れた能力を持っているバンドではあるんですね。
この曲は本人が洋次郎の言葉とは違う、いろんな言葉が借りられてきている感じがあったので、RADを追ってきている者としてちぐはぐ感みたいなものは感じましたが増田さんはいかがですか。
増田 ちぐはぐな感じっていうのは、我々使い慣れていない言葉遣いということもありますし、いわゆるネトウヨ的なテンプレと言いますかね「愛国的」と言った時の決まりきった表現が集積されていて、例えばRADWIMPSが日本的なものであるとか政治的なことについて言及したような歌は他にもいくつかあるんですけれども、その中でチキさんがさっき言われたみたいにすごく繊細な言語表現を用いたりするわけですね。それからすると、なんでそういう人がこんな、稚拙なと言ってはあれですけれども決まりきったような言葉遣いをするのかなと、疑問に思うところはありますね。
「無思想」の危険性
荻上 最初僕も一人の評論家として思うところを言っておくと、今回こういった歌が出たことが社会問題だとは別に思わないんですね。思わないんだけども今回、洋次郎、ボーカルでこういった曲を作るメインのギターボーカルですけれども、彼がフェイスブックなどのコメントで特に政治的な意図はない、自分たちは無思想である、右も左もないんだと発言したことを受けて、そちらのほうが僕は気になったわけですね。
つまり人文社会学なんかの分野での研究に触れていると無思想というものは存在しないわけですね。例えばラブソングを歌ったとしても、それが男女の恋なのであれば異性愛が前提となっているという思想が込められているとか、何か頑張っていこうみたいなことが歌われていたなら、こういった時には応援することが重要なんだという、何もかもにも思想が込められていると。その思想性に完全に無自覚なまま信奉してしまうことのほうがむしろ危険なので、反応側として無思想というものは存在しない、無思想だということによって何もかもをそのまま拾い上げてしまって吸収してしまうことの怖さみたいなほうがあったので、あえて歌そのものというよりは、パフォーマンス自体が僕は気になったんですが、辻田さんはいかがですか。
辻田 SNSに発売後に出た文章の中で「右も左もなく」という言葉が出ていて、インターネットではほとんど右の人の自己紹介みたいな言葉で。「普通の日本人」だとか「右でも左でもなく」っていうことを右の人ほど言いたがるところがある。つまりこれは、自分は中道にいるのであって正しい、だから批判されるのはおかしい、みたいな感じで使われる言葉なんですよね。ある種ネットスラング的なところがある。それを使ってきてこの内容なので、おそらくネットで特に左の人が刺激されてしまって軍歌だと話題になった面もあると思うんですね。
一方で「右でもなく左でもなく」という言葉、つまりあまり偏らないで真ん中を目指そうということは、言葉自体の意味としてはあまり悪い意味ではないと思うんですよね。つまり自分は偏ってるんだけども、いろんな意見を聴く中でできるだけ偏らないように頑張っていこうというくらいの意味であれば「右でもなく左でもなく」という言葉は必ずしも悪くないと思うんですけども、今回一連の反応を見ていると、やはり自分は純粋な気持ちであって政治的に偏向しておらず中道なんだという意味で、つまり悪い意味で使っているところがあって、ご指摘のように悪い意味での右寄りの自ら偏りを自覚しない言葉になっているのが残念だと思いますね。
荻上 どうしてこのタイミングでのこういった曲だと、辻田さんはご覧になっていますか。
辻田 私は今回サッカーワールドカップのテーマソングのカップリング曲だということでしたけれども、スポーツの大会というのはこういうナショナリスティックな歌は作られがちなので、今後2020年に東京オリンピック・パラリンピックがあると、そこを目指してこういったナショナリズムを刺激するようなタイプの歌が作られてきているのかなとは思いましたけど。
荻上 なるほど。そうした中で今回のコメントの中でも、例えば「ちゃんと日本のことを好きだという気持ちである」という時に、日本が好きだと表明することが「ちゃんとした」態度になるということは、これもまた一つの思想ではあるわけですよね。
辻田 そうですね。
荻上 そうした中で先ほど増田さんが別の曲でRADWIMPSの着目している曲があるということだったので、せっかくなので増田さん、曲振りお願いしていいですか。
増田 RADWIMPSの別名義のバンドになりますけれども「味噌汁’s」というバンドになるんですが、同じ人が歌っている「にっぽんぽん」という曲ですね。
♪味噌汁’s「にっぽんぽん」
荻上 ある意味では自虐的にも聞こえる、高田渡の「自衛隊に入ろう」じゃないけれど、こんな日本ていうことを茶化しているようにも聞こえる歌詞ではありますよね。どうしてこの曲に注目されたんですか。
増田 正直ですよね。実感としてあんまり物を考えていなくて普通に生活しているマジョリティーの日本人の人が、日本に対するそこはかとない愛着を歌ったらこんな感じになるというのを、非常に巧みに、ドジなところもあるけどちょっといいところもあるぜという風な、そういう感じを非常に巧みに描いているなと。RADWIMPSの元々の日本性に対する歌詞はこういったトーンが僕には印象的だったんで、非常に色が今回の「HIROMARU」は違うなと思ったところなんですね。
荻上 誇りを持つというよりも、洋次郎の歌詞ってどちらかと言うと、ナイーブで弱い僕だけどそれでも君を愛していたいみたいなタイプなわけですよね。ある意味ではオリンピックとかワールドカップとか、イベントに合わせてマーケティング的に要請されたようなところってあるんでしょうかね。
増田 マーケティング的にやるとしてもちょっとこんな歌でサッカーはしないよね(笑)と、そんな感じはしますね。「にっぽんぽん」の方が盛り上がる感じしません? 普段通りのリラックスした感じで。
荻上 そうですね(笑) まあこれは逆に右から叩かれるかもしれない感じはありますね。辻田さんはどうご覧になりましたか。
辻田 愛国歌を作ること自体は全く悪いとは思っていないので…
荻上 もちろんもちろん。
辻田 別にこんな歌だったらなんにも問題ないというか。普段最近の音楽聞かないのでRADWIMPSも例によって知らなかったわけですけれども、今回の件があって、歌詞が検索できるサイトがあったので、野田洋次郎さんの過去の歌詞とかもばーっと見たんですよ。そうすると例えば今回よく使った「御霊」という謎のワードがありましたよね。「御国の御霊」というのが。実は他の歌詞でも「御霊」という歌詞が使われているのを発見しまして、それが「コンドーム」という曲なんですけども、読み上げますとですね。
俺と同じいくつもの命 シコタマ溜め込まれた後に
ゴムの中に ゴミの中に 腐ったヨーグルトとともに
待って? 誰? なぜ? はて? さて? あれ? 彼等の御霊はどこへ?
って書いてて「御霊」の意味が、増田さんがおっしゃったように今回の言葉が練られたものというよりは、即興というかあまり考えずに作った。つまり愛国歌としても練られていないし、本当に日本のことが好きでその気持ちを表したいならもっと練られたものができたはずじゃないかという印象を、どうしても持ってしまいますよね。
短絡的な謝罪と批判
荻上 今回はそのことを受けて謝罪したんですけれども、これが結構肝だと思っていて。謝罪をすることによって、愛国ソングを作ったら責められたから自分たちは被害にあった、申し訳ないと。でも傷ついたから謝ってくれと求めていたわけではなくて、例えば僕は曲のことは触れていないが、無思想だと表明したことによって、同じ表現者の一つとして無思想だという言葉がもつ暴力性は怖いよということを表明したりはしたと。だけどそれを歌うなとか、世の中にはそういった曲を歌うなと抗議する人もいるみたいですけれど、僕はそことは距離を取っていて、そうした曲に対する意味合いというものをクリエーターの態度として、どう思っているのかなということは気になったわけですね。読み解き方は結構大事な気がしますよね。
辻田 これも軍歌と言われたのは違いますと反論していて、私は「軍歌だ」という批判自体がすごく短絡的だと思っているんですよ。過去の歌詞とちょっと似ているだけで軍歌と言うと、当然こうした反論をしてくるわけです。誰か攻撃していないし、戦時下で今ないぞ、だから間違ってないぞ、なんでこんなのに批判されるんだとバックラッシュが来るわけですね。歌詞の一部分をつかまえてすぐ文化だ文化だと言ってしまう人も、かなり問題だと私は思っていて。
向こう側は向こう側でこういうことを言われたと。インターネットではこれが言論弾圧だ、検閲だと騒ぐ人もいて、それもまた過剰反応で。過剰反応の行き違いが行き交っているうちにあれよあれよと変な方向に話が進んでしまっているというのは、すごく残念だなと思いますね。
荻上 一方で無思想という格好で普通の日本人に対して褒めようムードが高まって、受け入れられていく過程が、結果として今、日本の中にある排外的なムードとミックスしたり接続されてしまう危険性を、より敏感に感じる人たちも当然いるわけですね。それが過剰な反応だとも言い切れないところもあると思うわけですよ。単に対立構造に落とし込むのではなくて、今日のテーマである傾向と対策、どうしてこういった曲が出てくるのか、そしてそうした曲をどう聴けばいいのかといった時に、単に言葉に反応して鼓舞されるとか憤るのではなくてどう読み解くか、あるいは今の環境でどう聴かれるのかを考えなくてはいけないなと思うわけです。
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