大仙古墳、仁徳天皇陵… 報道各社の呼称は

2019年5月14日
大仙古墳(2007年撮影)=国土地理院地図・空中写真閲覧サービスのデータ(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=107695)を加工して作製
大仙古墳(2007年撮影)=国土地理院地図・空中写真閲覧サービスのデータ(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=107695)を加工して作製

 世界最大級の大仙(だいせん、大山)古墳(仁徳天皇陵古墳、堺市)を含む、百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群について、ユネスコ(国際教育科学文化機関)の諮問機関が世界文化遺産への登録を勧告しました。6月30日から開かれる世界遺産委員会で正式登録される見通しです。

 大仙古墳については、宮内庁が被葬者とする仁徳天皇の名を冠した「仁徳天皇陵」、学会が提唱する「大仙(大山)古墳」、宮内庁が仁徳天皇陵として管理する古墳という意味で堺市などが採用している「仁徳天皇陵古墳」など、名称が複数あります。各報道機関はどの名称を使っているのでしょうか。遺産登録を報じるニュースでの使用実態を記録します。

新聞は併記主流、放送は「仁徳」単独多く

朝日新聞は見出しに「伝仁徳陵」を取った=2019年5月14日付、大阪本社発行14版△(最終版)

 新聞各紙の14日付朝刊(大阪本社発行最終版)、通信社ニュースサイト、朝のテレビニュースから採録すると以下の通りになります。

見出し本文初出本文2度目以降
朝日伝仁徳陵大山(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵)大山古墳
毎日大山(だいせん)古墳大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)───
読売仁徳陵仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳)仁徳陵
産経───仁徳天皇陵古墳───
日経「仁徳陵」仁徳天皇陵古墳(大山古墳)仁徳天皇陵古墳
共同仁徳天皇陵仁徳天皇陵古墳(大山古墳)───
時事仁徳天皇陵仁徳天皇陵古墳(大山古墳) 仁徳天皇陵古墳
NHK───宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳───
JNN───仁徳天皇陵古墳───
NNN仁徳天皇陵仁徳天皇陵仁徳天皇陵
ANN仁徳陵古墳仁徳陵古墳───
FNN「仁徳陵」仁徳天皇陵古墳仁徳天皇陵古墳
TXN仁徳天皇陵仁徳天皇陵───

古墳名称をめぐる経緯

 天皇陵の指定は幕末から明治初期にかけて、古事記、日本書紀、延喜式といった資料を元に行われ、宮内庁もこれに基づいて大仙古墳を「仁徳天皇陵」として管理しています。一方これらの資料の記述は、現在の学術的な年代観と矛盾するものも多くあります。大仙古墳についても、埴輪の分析などから推定される築造期などを考慮すると、仁徳の墓とする説には不整合が生じるとの指摘があり、被葬者は特定されていません。(注1)

 こうした経緯から、1970年代後半に考古学者の森浩一・同志社大名誉教授(故人)が、遺跡の命名法に基づいて所在地名を古墳の名称にすることを提案し、現在では教科書にも採用されています。(注2)

 他に、学説とは別に宮内庁が天皇陵として管理している古墳という意味で「天皇陵古墳」の語が便宜的に使われます。(注3)

 世界遺産推薦に際しても構成資産リストには「仁徳天皇陵古墳」と記載されましたが、これに対しては日本考古学協会など13の学術団体が昨年9月、「『仁徳天皇陵古墳』という構成資産名は、便宜的なものとされていますが、 やはり被葬者が認定されているように理解される危惧を覚えます」として、学術的な観点に基づく構成資産名にするよう求める見解(PDFリンク)を発表していました。

 なお「大山」「大仙」の地名は「大きな山のような御陵」という由来から来ています(注4)。一部の古文書に「大山陵」とあるのに基づいて大阪府の文化財地図は「大山古墳」を採用していますが、古墳所在地の現在の住居表示が「堺市堺区大仙町」であることから、「大仙古墳」を使う教科書も多くあります(注5)。

 地名呼称を提唱した森氏は当時「大山古墳の所在地は堺市大仙町で、大仙古墳でもよいのだが、あの巨大古墳には大山がふさわしい」(注6)と語っていたという話もあるそうです。

 なお本記事では原則、地の文では「大仙古墳」を使いました。学会の地名主義に基づき、現地名に合わせたものです。堺に生まれ育った者として、会話などでなじみのある呼び方は「仁徳」とか「仁徳陵」で、仁徳天皇陵として親しまれてきた地元の歴史自体もそれはそれで重要と感じています。ただ愛称と、報道や公文書などで使う名称は分けて考えるべきだと思っています。

脚注(参考文献)

(注1)朝日新聞デジタル「陵墓に眠るのは誰なのか 宮内庁と学者の見立てに相違」2017年11月27日
(注2)アエラドット「『仁徳天皇陵は誰の墓?』 初の外部調査に期待される“成果”」2018年10月24日
(注3)毎日新聞「そこが聞きたい 天皇陵古墳の将来像 大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長 白石太一郎氏」 2019年2月26日
(注4)堺市ウェブサイト「地名あれこれ 堺市堺区」2012年9月29日
(注5)日経電子版「巨大古墳に様々な呼称 仁徳陵の謎を探る(2) 」2016年6月22日
(注6)産経ニュース「森浩一さんを追悼 『古代学研究』200号 教え子ら30人寄稿」2014年3月20日