映画『主戦場』

2019年9月6日
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 大阪・十三のシアターセブンで映画『主戦場』(2019年、ミキ・デザキ監督)を見てきました。慰安婦問題の論争を扱ったドキュメンタリーですが、面白かったと思います。

 よく言われる「証拠がない」「元慰安婦の証言に一貫性がない」「強制性はなく性奴隷とは言えない」「当時は合法だった」などの言説の問題点を指摘するのはもちろんですが、慰安婦否定派のお歴々がインタビューに答えるときの表情自体に、元慰安婦や韓国、朝鮮、中国の人々、さらには女性への蔑視を読み取ることができ、かつ彼らの使う語彙の生々しさと軽さが如実に表れています。

 この点をもって、もっとしっかり喋れる慰安婦否定派を出せなかったのか(たとえば強制性について否定的な秦郁彦など)という声もあるようで、ごもっともではありますが(特に最後のキーパーソンとして出てくるのが加瀬英明というのは何だかなと)、しかし慰安婦否定派にまともに喋れる人が少ないことや、彼らの底流にこうした差別意識があるのは違いないでしょう。そういう意味では「中立」の映画ではありません(ドキュメンタリー映画に中立を求める意味もよくわかりませんが)。否定派の中ではケント・ギルバートが、「すべてがそうとは言えないかもしれないが…」のような留保を付けて、表情もそれほど軽くなく話していたのが印象的で、迷いのようなものがあったのではという気もしました。

 納得行かない部分もあります。日本政府の度重なる謝罪に韓国側が納得しない理屈として、首相らの靖国参拝が帳消しにしている、というのはさすがに無理筋ではないかと思いますし、慰安婦問題の謝罪・補償の不十分さと対照的な例としてアメリカの日系人強制収容問題を取り上げるのは変じゃないかと思います。また日韓基本条約の「手打ち」が冷戦体制下にあってアメリカの要求が大きく影響したという部分は、単純化が過ぎるのではないかとも感じました。最後、再軍備云々という結論になるのもアクロバットすぎるオチで。

 ただ、冒頭に慰安婦問題の「論争を」扱ったと書いたように、歴史修正主義側が粗雑な論争を仕掛けることで、救済されるべき元慰安婦らが論争の後景に移ってしまう構図へのアンチテーゼとして、元慰安婦本人の声を最後に流した構成は秀逸です。