松山秀明著『テレビ越しの東京史』

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◇松山秀明『テレビ越しの東京史─戦後首都の遠視法』青土社(2019)

 戦後東京の語られ方はいくつかの変遷をたどってきました。1950〜70年代には、時間軸で輪切りにした近代都市発展史としての「戦後首都学」が中心で、80年代以降は戦後首都学では捉えきれない東京の複雑性を、より微視的な「東京空間論」が台頭し、現在ではさらに複雑化した東京を語ること自体を無理なものと見なす言説も多くなっています

 本書は、東京を語ること自体を放棄しないために、メディアによって意味づけられてきた、テレビの中の〈東京〉を見ることで俯瞰しようとしています。

 1960年代前半までの初期テレビドキュメンタリーは、近代化から取り残された「都市下層」を題材とすることで「東京はこうあるべき」を主張しました。当時の視聴者層が高所得者中心だったこともあり、啓蒙的で上からの視線で都市下層を描く眼差しだったのです。

 しかし東京五輪を迎えるにあたって、テレビを通して国民を同一化させることが主眼に置かれると、むしろ発展した未来都市としての東京、つまり「東京はこうだ」が画面を占めるようになります。実際には地方からの上京者、ここでは見田宗介を引用して「家郷喪失者」たちの苦しい生活があるのですが、画面からは見えなくなっていきます。代わりにこうした家郷喪失者らを描くのがホームドラマ。東京に出て「第二の家郷」を作り暮らしていく豊かな物語「中間層」の出現を象徴しています。

 膨張を続ける東京を前に、「どこ」を「どう」描けば東京を描いたことになるのかが見えにくくなる過程で1970年代、中央集権的高度経済成長へのアンチテーゼとして、地方への眼差しが増えていきます。テレビ史においては地方での大量開局の波が起こっています。こうした中で『新日本紀行』『遠くへ行きたい』などの紀行番組や、地方局を中継リレーで結んだ『ズームイン!朝』といった番組が生まれ、テレビは脱東京的になります。

 この時代、東京は公害問題など近代の矛盾を反映する現代都市としての描写が増えていきます。特にテレビドラマでは、向田邦子が『寺内貫太郎一家』で過去の残像を描き、山田太一は題材としての「郊外」を発見し『岸辺のアルバム』で家族崩壊の物語をもって批判的に捉えます。倉本聰に至ってはついに東京を脱出し、北海道・富良野を舞台に『北の国から』を書くのです。

 しかしいずれにしても、地方の時代は「反東京」を進めようとすれば進むほど、東京が浮かび上がる矛盾をもっていました。こうした(フィクショナルな)東京の先鋭化は、80年代に「ひょうきん族」などに代表されるような内輪的、自閉的なテレビの時代を準備しました。

 テレビは外側を映すものから、内部を映すものへと変化します。90年代にはトレンディードラマが、名実ともにテレビが自ら創り出した「お台場」を舞台に虚構の東京を描くのが当たり前となるくらいです。

 現在のテレビは、インターネットの普及でもはや選択肢の一つでしかない、日常生活から阻害されたものになりつつあります。『東京ラブストーリー』を書いた坂元裕二は2010年代以降、『Woman』などで格差を描くようになります。00年代のドキュメンタリーでも「ネットカフェ難民」や「無縁社会」といった都市の現実を扱うようになり、現在の『ドキュメント72時間』や『家、ついて行ってイイですか?』に至ってはなんの仕掛けもなくても、都市を写せば格差を描くことになってしまう、そんな時代です。東京の見えない格差という〈残映〉を描いているのが00〜10年代でした。

 東京論としての出来は私には判断しかねるところがありますが、00年代の「ネットカフェ難民」などに代表される啓蒙的な眼差し、10年代の『ドキュメント72時間』のような現代の生活への着目に、50年代から70年代にかけてのテレビの視線との共通性を感じられるのにはハッとさせられました。そして、五輪を前にして東京を、発展した都市として描く様も、60年代に五輪都市として不都合な面が見えなくなったテレビとも似ているような思いにも至ります。